内容
立川談志の弟子が書いた、自伝的エッセイです。
落語家を志した訳、師匠とのエピソード、切磋琢磨しながら共に成長した兄弟弟子との関係、辞めていった仲間達。談志とその師匠・小さんとの知られざるエピソード…。
2008年度講談社エッセイ賞受賞作。

動機
本屋を覗いてみたところ、平積みされていたこの本が目に留まりました。
モノクロの著者の写真にひきつけられ、思わず手に取りました。
裏表紙はめだか(赤ではありませんが)の可愛いイラスト。
このセンスの良さ(表紙デザインは南伸坊さん)、さらには帯に絶賛の言葉。
落語は好きだし、とすぐさま図書館に予約を入れました(買ってない^^;)。

感想
「男惚れ」ってこういうことなのかな、と読み終わってまず思いました。
著者の、師匠(談志)への思いを感じます。

登場する女性が、著者の母親と築地で修行していたお店のおかみさんくらいという、とても男臭い内容なのも、その印象を強めているかもしれません。

落語家らしいテンポとリズムを感じる文章が、ぐいぐい読ませます。
中ごろになると、関係者の実名が多く出てきて気を使ったのか(考えすぎかな)、ちょっとテンポが落ちたように感じたのですが、気のせいでしょうか?

最初は競艇選手になろうと思っていたが身長制限のため諦め、落語に触れて落語家を志す。
最初の競艇場でのエピソードにまず笑えます。

辞めていった仲間達。支えてくれた周囲の人たち。
豪快だけれど細やかな、そんな人情味溢れたエピソードが綴られています。

「赤めだか」とは、師匠が可愛がっていた金魚のこと。
餌をやってもやっても大きくならないので、「金魚ではなく赤いめだかだ」と言われていたその金魚に、辞めていった弟子の一人がずっと餌をやっていたエピソードが書かれています。
このタイトルを選んだのは、辞めていった仲間への、そしてこれから成長するであろう弟子たちへの、想いが込められているのかも知れません。

特別篇その一とその二は、弟子でなければ書けない、立川談志の姿が書かれてあります。
実は立川談志という人はあまり好きじゃなかったのですが(落語家なのにもごもご話して聴きにくいというイメージがありました)、生身の人間としての魅力が伝わります。

ちなみに、先日TV『情熱大陸』にこの著者が出ていました。
この本を読み終わってすぐだったので、興味深く視聴しました。

memo
後年、酔った談志(イエモト)は云った。
「あのなあ、師匠なんてものは、誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん、と思うことがあるんだ」(69頁)

「(略)型ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりしや奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか? 難しすぎるか。結論を言えば型をつくるには稽古しかないんだ。(略)いいか、俺はお前を否定しているわけではない。進歩は認めてやる。進歩しているからこそ、チェックするポイントが増えるんだ(略)」(「狸」を師匠の目の前で稽古した著者に、師匠・談志が言った言葉/73頁)

何の確約も無い言葉でも、人間はすがりつく時がある。すがりつかないと前に進めないことがある。それを、自分は決断したなどと美化した上で、現実をみとめることもなく、逃げ道まで用意してしまう弱さがある。(79~80頁)

「負けるケンかはするな」が我が家の家訓で、それは相手から逃げるという意味ではない。勝てる、最低でも五分の戦いができるようになるまでは相手を観察し、研究する。そのためには格好つけている暇はない。至近距離まで飛び込んでみよう。(115頁)

「(略)談春は談志にはなれないんだ。でも談春にしかできないことはきっとあるんだ。それを実現するために談志の一部を切り取って、近づき追い詰めることは、恥ずかしいことでも、逃げでもない。談春にしかできないことを、本気で命がけで探してみろ」
(略)「あのな、誰でも自分のフィールドに自信なんて持てない。でもそれは甘えなんだ。短所は簡単に直せない。短所には目をつぶっていいんだよ。長所を伸ばすことだけ考えろ。談春の長所がマラソンなら、マラソンで金メダルとるための練習をすればいいんだ。マラソンと一〇〇メートル、両方金メダルはとれないんだよ。マラソンと一〇〇メートルではどっちに価値があるかなんてお前の考えることじゃない。お前が死んだあとで誰かが決めてくれるさ。お前、スタートラインに立つ覚悟もないのか」(弟弟子に先に昇進された後、少し自棄になった著者にさだまさしが言った言葉/267~268頁)

コメント