内容
会津八一(あいづ やいち)。新潟県出身。
歌人、書家、早稲田大学教授(後に名誉教授)。

古都奈良を愛し、多くの短歌や評論を残した。
妥協を許さず、孤高の人柄でも知られる。

昭和15年、還暦を迎えて刊行したのが『鹿鳴集』。
妥協を許さずに選びに選んだ歌集です。

会津八一の短歌自体は優しく平易なものもあるのですが、
全てをひらがなで書いたため、
そして文語体にしてしまったため、わかりにくい点も多く、
それを解決しようと『鹿鳴集』に自ら注釈をつけたのが
この『自註鹿鳴集』です。

動機
私はこの会津八一の短歌が大好きです。
社会人1年目、ある本を読み(タイトル失念)知った会津八一。
その本は数人の男性歌人の作品と人生を比較して完結にまとめたものでした。
そのうちのひとりがこの会津八一。他にも北原白秋などが紹介されていました。

当時人間関係に苦しみ、入社3ヶ月で体重が7キロも減っていました。
偶然会った知人に、驚かれたくらいのやつれっぷり。
目が大きいので「目だけが爛々としている」と
訳の判らない事を言われました(苦笑)。

同期とは余り気が合わず、社内に信頼できる人もおらず、
社会人生活は、生活の殆どを過ごす会社は、とても辛いものでした。

そんな時に出会った、会津八一の短歌。夢殿の救世観音を詠った1首です。

「あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
この さびしさ を きみ は ほほゑむ」

(天地にわれ1人ゐて立つごとき この寂しさを君はほほゑむ)

涙が出ました。
寂しさも、悲しみも辛さも、微笑んで乗り越えられるような人になれれば。
今は無理でも、数年後には微笑んで思い出せれば。

残念ながらその会社は3年で退職しました。

何年経っても、人間関係で苦労しています。
今も、色々と辛い状況にいます。

だからこそ読みたくて、図書館で借りました。
残念ながら絶版になっていたからです。

感想
奈良を旅行する時、これをガイドブックにしたい。
そんな内容のレビューが、amazonに載っていました。

奈良の古寺、古仏を愛した会津八一の視点は優しく、穏やかなものを感じます。
この本を片手に、奈良を旅したくなる気持ち、よくわかります。

ひらがなだからこそ読みづらく、文語体だからこそ難しい。
それをわざわざ選んだのは、古都の持つ雰囲気を表現したかったからだと言う気がします。

妥協を許さなかった厳しい人だと知った今も、この優しい短歌を読むと、
きっと自分には厳しかったかもしれないけれど、
周囲には情の深い人だったのではないかとも思います。
同時に、そういう人にありがちな、孤独も感じます。

そこに惹かれ、癒されるのかな。
優しさと表裏一体の寂しさ。

辛い時に今でも心の中で上記の短歌を繰り返します。
辛い時、孤独な時、穏やかな言葉が欲しい時。
泣きたい時、泣けない時、苦しくて呼吸すらできないような時。

そんな時に効く、常備薬のような、私の大切な1冊です。

そういえば、当時電話をくれた学生時代の友人に、
会津八一の短歌にはまっていると言ったら、心配されたことがありました。
「どこに行っても良いけど、ちゃんと戻って来てよ」って。
え、別世界? 短歌を読むのが好きって、普通じゃないのね^^;

その友人とも縁が切れてしまいましたが…。

ちなみに影響を受け、ひらがなに魅せられました。
例として、いくつか使い分けているハンドルネーム、ひらがなを使っています。
内容
時代は昭和11年。学習院に通う良家の令嬢・花村英子。
商事会社社長で英国通の父や優しい母、文学青年の兄を持つ。

そして通学の送迎をしてくれるお抱え運転手のベッキーさんこと、
別宮みつ子に、日常生活に潜む謎を話し、ヒントをもらい、解決していく。

英子の友人、大名華族の名門のご令嬢・道子の小父の滝沢子爵と
そっくりなルンペンを見たと、英子の兄が語る。
身内しか知らないことだったが、滝沢子爵は出勤途中で“神隠し”に遭っていたのだった。
兄が見たのは、子爵なのか? それともそっくりな誰かなのか?

老舗和菓子店の息子が中学を受験する。
そのプレッシャーなのか、ある夜その少年が補導される。
どうやら“ライオン”が関係しているらしい。
だが少年は、謝りはしても決して説明しようとしない。その理由は?

銀座に能面展を見に行った英子。そこで同級生の子爵令嬢・千枝子と会う。
ある面を見た千枝子は、失神してしまう。
千枝子は能面に何を見たのか?

3つの短編からなる連作集。

シリーズ3作目にして最終作(らしい)。
直木賞受賞作。

動機
北村さんは大好きな作家の一人です。
1話完結の日常ミステリーが好きなことと、
登場人物が自分に近いタイプで親近感を持っているからだと思います。

このシリーズも出版されると、できる限り早く
図書館に予約を入れて順を追って読んでいます。

感想
この作品で直木賞と言うのは、ファンとしては残念。
もっとしっくり来る作品があったと思うのですが…。

この昭和11年も、今の時代と余り変わらない様子が描かれています。
ホームレス、お受験、経済格差。

そんな中、良家の令嬢、つまりは世間知らずで浮世離れした感のある英子が、
運転手のベッキーさんに助けられ、支えられ、
少女から女性へと成長しようとしている作品です。

そして陸軍の下士官・若月への感情。これは間違いなく淡い恋心。

昭和11年と言う時代が、この作品の一つのキーワードになっています。
不穏な動きを伝える新聞。都会では聞くことのないブッポウソウの鳴声。
山村暮鳥の美しい詩集に収録された、強引にして暗い詩。

歴史に精通している方なら、ラストを予想できるのではないかと思います。

1話目の「不在の父」。これは実際の出来事を元にした短編です。
松平斉男爵の行方不明事件。結局男爵は見つからなかったようです。
この事件を作者が創作したものと後書きに書かれていますが、
この通りではなかったかと思わせる内容です。

2話目の“ライオン”は、三越のライオン像と関わっています。
でも、「そんな話」聞いたことないぞ。

少年の行動を予想して、英子は上野を散策します。
そこで英子は犯罪に巻き込まれそうになり、今まで想像もしなかった格差を知るのです。
狭い世界、居心地の良い羽布団に包まれていた英子が見た、底辺。

3話目は、2話目とある意味、対照的という面でつながります。
こちらは底辺ではなく、経済的に頂点に立つお金持ちのイタズラを描いていますが、
この対比は現代にも通じる深刻さを思わせます。

内容的には、この『鷺と雪』、こういった現代と似通った時代背景を読ませる小説で、
そこが「今回の」直木賞につながったのかな、と思います。

日常に潜むミステリーを解決する小説だと考えると、物足りないのです。
2・3話目のネタ、というか、事件そのものがもうミステリーではなく、
都市伝説を基にした世間話と言う印象。

ですがラストは切ないです。
もうお分かりだと思うので書いてしまいますが、2・26事件が起こります。

今回、英子の叔父・東京地裁検事の弓原子爵、
英子の友人・道子の兄の桐原中将が登場します。
「その後」の伏線なのかな、と思うのは考えすぎでしょうか。

若月はこの事件で命を落とすのか。
その後の激動の時代を英子は、ベッキーさんは、そして英子の友人たちは、どう生きるのか。

その後、を期待したいシリーズです。
内容
ギャンブル狂の映像ディレクターの小峰は、友人・村瀬に誘われて、
池袋最大のカジノの売上金強奪を計画する。
金を分ければ散り散りになる名前も知らぬ寄せ集めの人間たち。
カジノ店の店長が協力している狂言強盗。成功するはずだった。
だが銃撃役の中年男の裏切りによって、村瀬は死に、1億円は奪われる。

そしてカジノ店を仕切るヤクザ・氷高組に自分や共犯者たちの正体はバレ、
借金を背負い一生氷高組で下働きするならと、
小峰は自分が強奪犯を見つけ金を取り戻すと宣言してしまう。

お目付け役の“サル”と共に、小峰は池袋の街を自分の記憶を元に探し始める。

これはマコトではなく、マコトの友人でヤクザのサルこと斉藤富士男と、
売れない映像ディレクター小峰が中心となった、ミステリーと言うよりもサスペンス。
画像は文芸春秋社刊の文庫となっていますが、私が読んだのは徳間文庫です。

これで3作連続の『池袋ウエストゲートパーク』シリーズ。
こちらは長編の外伝となっています。

動機
ずっと気になっていたこの外伝。
なかなか読む機会、というよりも図書館で借りる機会がなかったのですが、
続けてシリーズを図書館で予約。

出勤途中などで読めるよう、文庫本を借りました。

感想
ありきたりな言葉ですが、「スタイリッシュなクライム・サスペンス」と言う感じです。王道です。
でも、やっぱりこの頃の作品には「キレ」があります。

結末は予想できるし、実際その通りだったのですが、それでもドキドキできる展開です。

池袋の裏街道を生きる、ギャンブラーやゲイバーのママ。
フィリピンホステスに、小峰の恋人の売れない女優兼ホステス。

何となくこういうストーリーにはありがちな人物が、ありがちな役割を担っています。

都合よく、引退していた伝説のギャンブラーが登場し、そして小峰の逆転劇が始まる。

確かに都合いいのです。
でも、「今」何が起こっているのか、正確に描かれているから、
そして登場人物たちの「ギリギリ感」を理解できるから、
リアルさを感じ、この小説は面白いのだと思います。

memo
「「あなたにできることは他にある。勝負を張るなら、そこでおやんなさい。勝っても負けてもきちんと自分の身につくことがある場所で。博打は負けたらゼロ、そこで倒れて死ぬだけよ」(269頁)」
(伝説のギャンブラー・アベケンを探す際に出会ったゲイバーのママが、小峰に言った言葉)

内容
昨日に引き続き、池袋の果物屋店番兼“トラブルシューター”マコトが
主人公の『池袋ウエストゲートパーク』シリーズ8作目。
こちらも最新刊ではありません。

シングルマザーと3歳の息子。
池袋をきれいにしようとゴミ拾いをはじめ一大グループとなり、
それをまとめるエリート青年。
元彼に脅迫されるSM好き少女と、少女を救おうとする元警察官。
派遣会社に搾取される日雇い青年と、フリーターのための労働組合のメイド服の代表。

シリーズ8作目、3作の短編と1作の中篇集。

動機
もともと本屋さんなどで『池袋ウエストゲートパーク』の最新刊『ドラゴン・ティアーズ』を知り、
読みたくなったのがきっかけでした。
最新刊を読むためには、今まで読んでいなかったシリーズを読んだ方がいいだろうと。

こちらも図書館で借りました。

感想
う~ん、何と言うか「キレ」を感じない…。
社会情勢をテーマにしているだけに、「キレ」は大事だと思うのですが。

それに先がもう読めてしまう。だからこそ安心して読めるともいえるのですが、
キレがない分、鋭さがない分、このシリーズの魅力が半減してしまっていると思いました。

それに同じような表現が目立つのもその一つかな…。
「透明な家族(1作目)」「透明人間(4作目)」、
さらには契約社員たちのために家を作りたいと言った青年の話の後に、
日雇い青年たちの難民生活。
この流れにしては、マコトが鈍すぎるのです。

契約社員として深夜まで働く若きシングルマザーが、
ほんの一日息抜きをしようと3歳の息子を家に残して外出したら、
息子はバルコニーから転落。
軽症ですんだが、どこで調べるのか嫌がらせの電話や取材で、
母親は精神的にナーバスになる。
この1作目は、マコトのおふくろさんが活躍します。

日米の大学を優秀な成績で卒業したエリート青年の実家は、
池袋に聳え立つ超高層ビル。
父親の個人資産は1兆を越える。その青年が誘拐された。

SM好きで脅迫された少女は、
それでも現役警察官の父に迷惑を掛けたくないとマコトに相談し、
その父は娘を助けたいと元部下に相談する。

そして4作目。初出誌でも2回に分かれた中篇です。
日雇い暮らし、ネットカフェ難民なのは自分の責任とそれでもまじめに働く青年。
派遣会社グッドウィルを題材にしたと思われる作品です。

派遣会社社長の贅沢。正社員たちの過労死寸前のサービス残業。
二重派遣、港湾派遣、労災隠し。
「インフォメーション費」として日雇いの給料から引かれる200円。

組合とともにこの200円を追求した日雇い青年たちが襲われる。
マコトのおとり作戦が功を奏し、この襲撃事件の犯人が分かるのですが、
結局は労働組合の代表の存在が全てと言えそうな内容です。

何と言うか、事実をただ記載しただけのような、そんな印象なのです。
マコトが見せる正義感も、視点も、余り鋭さを感じないのは、
この問題が大きくマスメディアで取り上げられ、
特に金融不安以降の派遣切りの現状を読んだ側からすれば、
物足りなく感じるからなのかも知れません。

マコト自身も年収200万円の底辺だ、明白な負け犬だと言っている場面があります。
ですが、それを書いている、マコトに言わせている作者は
ベストセラー作家の富裕層なんだよなあ…。
そんな冷ややかさまで抱いてしまいました。

日雇いの貧しさの中、自分の尊厳をぎりぎり守ろうとする青年の姿。
実際に居るであろうその姿は、切なさと美しさと共に
その頑なさから、悲しみも感じるのでした。

memo
「「なあ、マコト、わたしは六十年以上生きているうちに、その普通ってやつがなんだかよくわからんようになったよ。おまえのいう普通と、わたしの普通、お嬢さんの普通と池本の普通、みんなそれぞれ別なんだろうな」
(略)そいつはおれも大人になるたびに感じてきたことだった。逆に言えば普通であることほどオリジナリティあふれている状態はないのかもしれない。(140頁)」
(元彼に脅迫された少女のために動く元警察官大垣の言葉に、マコトが思ったこと)

“皆違って、皆いい”のですが、やはり自由とワガママを履き違えてはいけないのです。普通であること、常識的であることは大切なことだと思います。

「「ぼくひとりになにかをしても無駄だよ。ぼくみたいな生き方しか選べなかった何千人か何万人の人のために、みんながなにをできるか。マコトさんは文章を書く人なんでしょう。それを考えてみてよ。ぼくは自分のことは、自分でなんとかするから」
(略)壊れたひざを抱えたまま、全財産はほんの数万円で、東京には頼る人間もなく。それでもサトシは自分には手を貸さなくてもいいという。
勇気と言う言葉が、本当はどんな意味か、おれはその時サトシに教えられたのだった。自分が最悪に苦しいときに伸ばされた助けの手を、別のもっと苦しい人間にまわしてやれる。(129頁)」
(襲撃された日雇い青年サトシに何かしてやれないかと言うマコトへ、サトシの言葉とマコトが思ったこと。)

でも、サトシの頑なさが悲しすぎる。これは、この状態のこの言葉は、勇気なのだろうか。

「仕事は誰でも金のためにやる。だが、同時に自分でなくてはできないかけがえのなさや誇りがもてない仕事は、人をでたらめに深いところで傷つけるのだ。(222頁)」
(おとり作戦のために日雇い派遣に登録、実際に仕事をしてネットカフェで睡眠を取るマコトが思ったこと)

その通りです。
内容
池袋で実家の果物屋を手伝うマコト。
トラブルシューターの異名を取る彼の元には、時々問題を解決して欲しいと相談が来る。

振り込め詐欺から“足抜け”したがっている一人の青年。
どう見てもデート商法に引っかかり、5年で500万のローンを抱えながら、それでも騙した女性を信じる季節工。
優等生に疲れて自宅に放火した中学生。
そして池袋で起きた襲撃事件が発端で内部抗争に発展したGボーイズのキングこと、マコトの友人のタカシ。

シリーズ7作目となる、4作入りの連作短編集。

動機
宮藤官九郎脚本で、テレビドラマでも大ヒットした『池袋ウエストゲートパーク』。通称『IWGP』。
その続編(シリーズ7作目)です。最新刊ではありません。
ドラマは一切見ていないのですが、ずっと読み続けています。

最初のうちは購入していたのですが、その後図書館で借りて
気に入ったものだけを購入するスタイルになったため、
こちらも図書館で借りました。

しばらくこのシリーズは読んでいなかったので、
シリーズ何作目まで読んだのか分からなくなっていました。

アマゾンなどのサイトを参考に、読んだような気はしたけれど、こちらを予約。
やっぱり読んだことあるものでした^^;
が、石田さんの作品って、良くも悪くも印象に残らない。
2度目になりますが、ある意味新鮮に読めました。

感想
時代を切り取った、と言えばありきたりになりますが、
この言葉がぴったりする小説であり、作家のような気がします。

振り込め詐欺にデート商法と、がそれぞれ1作ずつ。
そして恐らく2006年に奈良で起こった、超進学校に通う男子高校生が自宅に放火し、継母と異母妹弟が亡くなった事件をモチーフにした作品が1作。
過去の事件に絡み、命を狙われたマコトと内部抗争に発展したグループを抱えたタカシの1作。

どこか映像的な文体、軽妙な会話、テンポよくでもちょっと都合よく進む展開、納得できる結末。
そして作者も、’60年生まれとのことですが、若々しいイマドキノヤサオトコ風。

ココで描かれている池袋は、とても雑多で組織の街。集う人間も刹那的。
私は池袋の一部しか知らないのでしょうね。
それでも共感し読み続けようと思うのは、そこに描かれた人間像が普遍的といってもいいから。
刹那的でも未来が見えなくても、心の奥底のひたむきさと救いを感じるから。だと思います。

この中で一番好きなのは、3作目の「バーン・ダウン・ザ・ハウス」。
放火少年の話です。
実際の2006年奈良の事件に救いはありませんでしたが、これには救いがあります。

両親は助かり、祖母は大怪我を負いながら孫を愛している。
放火した孫は祖母の好きなカスミソウの花束を、ナースステーションに毎日預けている。
そして池袋で起こった放火事件を解決し、祖母に謝罪する。
誰も死ななかったとする物語だからこそ迎えた大団円とはいえ、
実際の事件を思い浮かべて思わず涙。

主人公マコトの趣味は、クラシック音楽鑑賞。
作中に流れる(書かれた? 紹介された?)こちらもCDを聞いてみたくなります。

memo
「うちの果物屋のまえで、メルセデスは停車した。これからワンパック五百円のビワやひと袋二百八十円のミカンを売るのだ。電話一本で数百万を振り込ませるよりも、頭をさげてこつこつ稼ぐ。
なあ、仕事って、そういうもんだよな(51頁)」
(振り込め詐欺事件を解決してマコトが思うこと)


「そこにあるナシを皿のうえによっつずつ、のせてくれ。そのあとは店のまえの掃き掃除。むずかしいこと考えなくていいから、休まずに動いてろ(129頁)」
(マコトの実家の果物屋で働くことになった放火少年・ユウキに、マコトが言った言葉)


「悪いことをする人のなかでも最低の人間は、何が起きたか、誰を傷つけたか、決して自分で見ようとしない人間なんだ(149頁)」
(ユウキが祖母に謝罪した言葉の一部)

内容
泌尿婦人科医(泌尿科と産婦人科をまたぐような領域。厚労省が認めていない)の秋野翔子は、恩師の裁判の証人のサンビーチ病院長・岸川卓也にお礼の声をかけた。
それがきっかけでサンビーチ病院に赴任する。

インターセックスの患者は、男女どちらかの性になるよう、
分かった時点で性器を手術するよう説得あるいは親に決められるが、
その手術は大抵10数回を数える。
肉体的、精神的、経済的苦痛の大きい手術。
それを無理に推し進めず、ありのままの体でいいと話す翔子は、
インターセックスの患者にとって最大の理解者であった。

新任でありながら早くもサンビーチ病院で確固たる地位を築きつつある翔子。
そんな中、5年前親友・加代が亡くなった原因が、院長・岸川にあると知る。
病理部長・峯の協力を得て、加代の、そしてその前後に起こった3件の事件も調べ始める。

動機
もともとインターセックスには以前から関心を持っていました。

一つに、もうかなり前ですが、テレビでインターセックスの女性(実際には両性具有)の方の特集を見たことがあったからです。
外見は…男性的でもあり女性的でもあり、といった印象。
やはり悩んだそうですが、今は自分同様の体を持つ人々のために、医師になりたいと語っていました。
何より顔を実際に見せてテレビに映ったその女性の勇気は、今も忘れることができません。

二つ目に、インターセックスではありませんが、私自身ホルモンバランスが崩れていて、毛深かったりニキビがひどかったりで悩んでいたことがあります。
婦人科に通い、多嚢胞性卵巣(他に子宮腺筋症もありますが)と診断されました。
男性ホルモンの過剰が原因です。治療を10年以上続けています。

勿論、インターセックスの方の深刻さと比べるのは失礼なのですが、
「周囲と違う」というだけでつらく苦しい思いをしました。
私が群れるタイプではなかったから余計にいじめは酷く、その点は共通していると思ったのです。

医師によるインターセックスを題材にした小説。解説書や学術書ではなく小説。
興味を持ち、図書館で予約しました。

感想
こちらは続編になります。こちらを読むために先に書かれた『エンブリオ』も借りて読みました。
エンブリオ、生殖医療を題材に扱っているにも関わらず、
私には正直“男女の関係が気持ち悪い小説”という随分と酷い印象しかありません。

こちらの『インターセックス』、先の小説と比べると読み応えがありました。
まず、興味ある題材だからというのが大きいとは思うのですが。
それと同時に、抱く違和感。

主人公・秋野翔子ですが、一言で言うとマドンナです。
美しく毅然としていて、自分の意見を自分の言葉で的確に表現し、年長者や権力者の前でも決してひるまない。男性顔負けに仕事をこなし、信頼厚く自信もある。

カッコいいじゃないか!!

前作では、有能(らしい)の割には男性に対しての媚と計算を感じさせる、
気持ち悪い女性たちばかりだったので、余計に好印象。

ただ読み進めていくと、その好印象も少し崩れましたが。

この小説の特徴として、タイトルにもあるインターセックス以外にも、
ダウン症児の羊水検査、結果ダウン症児だと分かった時の両親の、両親への対応、
未婚のシングルマザーの問題など、様々扱っています。
それを素人にも分かりやすく…というよりは説明調の不自然な会話から理解させてくれます。

中でも読み応えがあったのが、学会で訪れたドイツでのインターセックスの自助グループのメンバーの語る、性を5つに分けるという考え。
一般に男女(male と female)ですが、それ以外にも
XYの染色体を持ちながら外見は女性(mem)、
XXの染色体を持ちながら外見は男性(hem)、
両方の特徴を持っている人(herm)とするというのは、とても感銘を受けました。

それに、著者は学会の描写が好きみたいですね。前作でもかなり力が入っていました。

帰国後インターセックスの患者にこの話をし、実際自助グループが発足します。
患者2人と“オブザーバー”の翔子の3人だけです。
歴史的、と語っていますが、本当に無いのかな? インターセックスの方々の自助グループ。

結果からいえば、翔子もインターセックスです。
クライマックスで、追い詰められた岸川はなんとも卑劣な手を使います。
翔子を襲い、その裸体をネットで流すと脅すのですが、翔子は自ら全裸になり、事実を告げるのです。
自分がインターセックスだからこそ、同じような苦しみを持つ患者のために頑張りたいと。ネットで流したければ流せばいいと、毅然と言い放つのです。

動機欄でも書きましたが、テレビで見たあの女性と重なります。

そして岸川は死を選びます。小説らしい終わり方です。

翔子は自分がインターセックスだと隠して、オブザーバーとして自助グループに参加します。
個人的には納得がいかない点ではあります。
患者に自助グループを作るよう、持ちかけている(印象)なのですが、だったら自分で動けばいいじゃないかと。

それとダウン症児の出産前診断の妊婦にたいしては、余り労わりの言葉も無く事務的。
患者はどんな症状でも患者じゃないの?

その翔子に院内での羨望の目。
ブラウスの色や着けているネックレスまで話題となっているそうですが、何これ。
昔の女学生小説のようです。この点は気持ち悪いと思ってしまいました。

翔子は岸川の死の連絡を受け、サンビーチ病院に解剖に回された遺体の解剖に立ち会いますが、その際、ネックレスまで選んでいます。こんなものなの? 違和感を持ちました。

男性が描いたどこか理想を追求した小説といった印象は、前作と同様です。
理想的な男性、理想的な女性、理想的な職場。
現実味を感じない(あくまでも個人比)この点が違和感を抱く原因かもしれません。
内容
終戦翌年の昭和21年、5歳になる資産家の一人息子が誘拐された。
百萬円の身代金を要求、受渡し場所は闇市、張り込む警察。
逮捕は確実だと思われていた矢先、闇市の一斉取締りが行われる。
そのどさくさに紛れて、犯人確保に失敗、身代金は奪われ、子供は戻らなかった。

その15年後、母を看取り、自分の出自に疑問を持つ20歳の青年が居た。
死に際に母が伝えたかったことは何か?

そしてある一人の女性が惨殺されるという事件が起こる…。

昭和21年の誘拐事件と15年後の殺人事件が、一人の青年の人生とともに交差する。

江戸川乱歩受賞作。

動機
江戸川乱歩賞受賞作ということで、本屋さんで平積みれていた1冊です。

帯ではとても面白そう。
普通ならここで即、(ネットで)図書館に予約するのですが、この本にはどうもためらいが…。

そこでレビューを検索してみると、かなりの酷評が目に付きました。
ここまで酷評される受賞作って? ということで逆に興味を持ち、図書館で予約しました。

感想
アマゾンなどでは★一つもあった程、酷評されていました。
読んだ限りでは、それはちょっと気の毒かな、とは思いつつ、確かに残念な1冊です。

1文1文を表現する「筆力」はとても上手な方だと思います。
ですが、目に浮かぶ、という言葉がありますが、全くその場面は浮かびません。

読みやすいのに、読み続けていると分かりにくくて疑問を抱き、何度か読み返し。
脳内完結して説明もせず、自分だけが分かっていることなのに、「何で分からないの」と人を小馬鹿にする自己中人間を前にしたような、イライラ感が。
もう途中で読み返すのは諦めて、読み進めることにしました。

冒頭、昭和21年の身代金受渡しの闇市の描写は緊張感があります。

それから15年後の昭和36年がメインなのですが、昭和36年らしさみたいなものがないのです。
これなら、現代を舞台にしても良かったのでは?

恐らく、現代ではなく昭和36年を舞台にしたのは、昭和21年の15年後(時効)だから、なんだろうなと思ってしまいました。

誘拐の動機が「そういう時代だったから」。
お金目当てで知らず知らずに誘拐を手助けすることになってしまった人間についても「そういう時代だったんだよ」。
犯人を取り逃がしたのも「そんな時代だったから」。

確かに昭和21年は“そういう時代”だったのでしょうが、だからこそ“そういう時代”に追い詰められた人間の心理描写は必要です。

私がミステリーに、トリックよりも動機や心理描写を求めるタイプだから、尚更なんだとは思います。

自分の出自に悩む良雄、その恋人の幸子。
この主要登場人物2人も、心理以上にその行動に、共感…というより好感が持てないのです。

昭和36年では捜査する刑事が2組居るのですが、書き分けができていなくて分かりにくい。
これは1組の刑事たちでよかったのでは?

真犯人が明らかになる最後の方で、乱闘シーン(?)があるのですが、迫力もなければ緊迫感もなく、これもやっぱり分かりにくい。

そしていろんな面で都合良すぎるのです。

例えば、昭和21年の誘拐事件の重要な証拠や、昭和36年にある人が誰かを脅迫していたと警察が理解した形跡を見つける場面。

この脅迫でお金を手に入れるため、ある方法を使うのですが、この方法。

都合良すぎて、正直言ってしらけてしまいました。

ラストシーンはなかなか良かったです。
“なかなか”って、すごく生意気な言い方なのは承知です。
きっと冒頭の緊張感に期待が大きすぎたからか、このラストが余りに安易過ぎる気がするのだと思います。

memo
 しかもそいつらは理由もなく噛み付いてくるのだ。嫌な思いをさせられた仕返しではなく、ただ他人の弱みを針で刺し、刺された人間が顔をしかめたり、ひるんだり、悔しそうに表情を歪めるのを見て嗤うために。この先大人になっても、そういう連中は必ず自分に目をつけるだろう。
 子供心に抱いたこの予感は、ものの見事に的中した。そして大人になるにつれて愛想をまとうすべを学ぶとともに、弥生はそんな≪敵≫から身を守る手段も会得したのだった。それは他人に隙を見せぬことだった。周囲の人々の一挙手一投足に目を配り、その目つきや表情を用心深く読み取り、≪敵≫が行動に移す寸前に、裏をかいて肩透かしを食らわせるのだ。周到に考え抜いて、相手の意表をつき、手を出させぬようにすることだ。(26頁)

こういう人間は、どこにでも居るのです。
内容
ロンドンに向かう列車内で偶然同席した老婦人。
婦人の住む小さな村で、連続殺人事件が起こっているという。
だがこの事を、婦人以外、誰も気づいていない。
婦人は、犯人が分かったので、警視庁に訴えようとロンドンに赴くのだという。

元警官のルークは、老婦人の戯言だと思い受け流していたが、翌日の朝刊で婦人がひき逃げで死亡したことを知る。

口封じのために、連続殺人犯がこの老婦人を殺害したのだと悟ったルークは、婦人の住んでいた村に乗り込んで捜査を開始した。

動機
これも先日の『牧師館の殺人』同様、バスの待ち時間などの空き時間に読もうと借りた文庫本です。

最寄の図書館には文庫本が充実していないのですが、このクリスティー文庫は全巻揃っているという充実ぶり。
自然と手が伸びてしまいました。

感想
前回と似ているのですが、「これぞ2時間ドラマ!」と思ってしまいました。

主人公ルークが事件に巻き込まれるきっかけが、偶然隣り合わせたこと。

友人の従姉妹のブリジェットが村の有力者の婚約者だという都合よさ。
そしてそのブリジェットにルークが心惹かれる物語の流れ。

魔術などを好むいかにも怪しい村の男。

無理解で非協力的な警察。

ルークが考える2転3転する犯人とその動機。たどり着いた真犯人。

そしてブリジェットに訪れた危機と駆けつけるルーク。迎えた大団円。

でも、2時間ドラマに見られる安易さは感じませんでした。
ブリジェットに惹かれるルークの気持ちが理解できるからだと思います。
余り描写は多くないけれど、魅力的な女性に描かれています。

現在だからよくある内容のように思うけれど、この小説が出版されたのは1939年。
当時は衝撃的な内容ではなかったかと想像します。

クリスティーの書いた小説は、大まかに3つに分けられるようです。
灰色の脳細胞・ポワロが登場するもの。
安楽椅子探偵・ミス・マープルが登場するもの。
そしてそれ以外の人物が事件解決のために登場する、ノン・シリーズと呼ばれるもの。

解説にもありますが、この小説の面白さは、ルークが田舎の小さな世界で孤軍奮闘し、素人探偵ならではの2転3転しながら事件の真相に迫る様子です。
頭脳明晰なポワロや、田舎に慣れ親しんだミス・マープルではなく、ロンドンからやってきた素人探偵ではなくてはならなかったのでしょう。

最後はハッピーエンドなのも後味がよく、“クリスティーを初めて読む女性”にお勧めしたくなる1冊でした。

memo
「好きだということは、愛しているということよりもずっと大切だと思うわ。長つづきするから。あたしはあたしたちのあいだでいつまでもつづくものがほしいのよ、ルーク。ただ愛し合って結婚して、おたがいにあきてしまって、ほかの人と結婚したくなるようなことは、したくないわ」
「なるほど、わかったよ。あなたは現実性を求めているわけだ。ぼくもそうさ。ぼくたちのあいだにあるものは、きっと永遠につづくだろう―なぜなら、それは現実に根ざしているからね」
「それはほんとかしら、ルーク」
「ほんとうだとも。だからこそ、僕はあなたを愛するようになるのが怖かったのだ」
「あたしもあなたを愛するようになるのが怖かったわ」
「いまも、怖い」
「いいえ」
彼はいった。
「僕たちには長いあいだ死が迫っていたけど、いまはもうそんなことは終ってしまった。さあ、これから二人で生きはじめよう!」
(事件が解決し、お互いの気持ちを確認するルークとブリジェット会話/412頁)

すごくこの気持ち、分かるんですよね…。
ブリジェットはかつて辛い恋を経験し、求められるままに大金持ちと婚約します。
そこへ現れたルーク。
臆病になりながらも新しい一歩を踏み出そうという気持ちを強く感じました。
内容
イギリスの平和な小さな村の牧師館で射殺死体が発見される。
犯人として自首してきた若い画家は、被害者の妻と関係を持っていた。
動機も凶器もあり、事件は解決かと思われたが、供述がどうもおかしい…。

牧師館の隣に住むミス・マープル初登場の長編作。

動機
先日読んだ、『ABC殺人事件』はポワロが主人公。
クリスティーの生んだ名探偵は、他に安楽椅子探偵で有名なこのミス・マープルがいます。
今度はミス・マープルを読んでみようと思い、図書館で借りました。
外出先、バスの待ち時間などにちょこちょこと読めるよう、こちらもハヤカワ文庫です。

感想
イギリスに限らず、田舎の小さな村というのはいつの時代もこうなんだろうな、と思わせられます。

余所者はそれだけで目立つ存在で、お年寄りが多く要領の得ない話を聞かされ、噂話に花を咲かす。

この物語で面白いのは、そのお年寄りの要領の得ない噂話の中に、事件を解決に導く重要な点が隠されているということです。
ましてや、事件を解決するのはそのお年寄りのミス・マープルです。

内容としては意外と俗っぽい(動機や人間関係など)。
犯人も余り意外性はない(色々とミステリーを読んでいるので)。
だけど後味は良い(善良な人が幸福になる)。

現代の2時間ドラマに通じるものを感じたと言ったら、怒られるでしょうか…。

でも、だからこそクリスティは時代を超えて愛されているのだと思いました。
内容
アメリカのオハイオ州立大学・ポジオリ教授が休暇で訪れたカリブ海の島々で遭遇する5つの事件を、ピューリッツァー賞作家が描いた連作短編集。



動機
新聞の書評欄で紹介されていた1冊です。
紹介されていたといっても、文庫化情報でしたが^^;
エラリー・クイーンからも高い評価を受けた1冊とのことで、この一文に興味を持ちました。

こちらも図書館から借りましたが、残念ながら文庫は入っていなかったので、単行本を借りました。

感想
新聞の書評欄になかったら、絶対に読まなかったと思いました。

まず、とても読みにくかったです。
漢字を使えばいいのに、ひらがな表記だったりする単語が多くて、スムーズに読めませんでした。訳者の意図が分かりません。
日本語は漢字かな混じり文化なんだと、当然にして深く考えなかった事実を実感しました。…大袈裟かもしれませんが、本当に読みにくかったのです。
図書館で借りられる期間は2週間あるのですが、さらに2週間延長したくらいです。

あと、内容もはっきり言ってお粗末。トリックや心理描写や推理の過程も酷いもの。
推理というよりは勘、心理というよりは妙な理屈付け。
私がミステリーを読みなれているから、だけではないと思います。

それでも面白かったのは、探偵役・ポジオリ教授の性格。
見栄っ張りで気が小さく、何と言うか小市民的。
かと言えばその人の話す言葉(アクセントや言葉尻りを捕らえて)でその人に対する理解を深めて、事件解決の手がかりにできる。

そして時代やカリブ海の描写。
多彩な人種、異なる文化や価値観。激動の時代背景。
白人の横柄さや支配的政治などと、アフリカ系独自の宗教観などを読むことができます。

1~4篇までは本当に本当につまらなかったのですが、最後の1篇「ペナレスへの道」が逆転サヨナラホームラン!

時代、政治、経済、白人と黒人の関係、宗教、そして孤独、結末の余韻。

最後の1篇だけ読んでも、ありがちなの話で終わってしまうと思うのですが、最初からの流れが急に終結されるような意外性とまとまりがあって、面白い作品になっています。

新聞の紹介欄でも、この1作に触れていました。
エラリー・クイーンがこの短編集のどこに高い評価を下したのかなかなか理解できませんでしたが、連作短編集として“内容”というよりも“流れ”を評価したのではないかな、と考えています。

memo
「(略)神は人間にとって友好的な存在ではなく、敵意か皮肉な気持をいだいているとみんなが思うようになれば、それでいかにたくさんの人生の難儀の説明がつくことでしょう。」(54頁)


生まれ変わらないのならば、人が死んだあと、この激しい定まることのない内なる魂はいったいどうなるというのだ。自分があの夢の中でもがいていたように、死者の魂は生き返ろうと懸命にあがいているのかもしれないではないか。おそらく、死者の魂がまだ無数に存在し、再び生をうけ肉体を得ようと欲しているのだろう。生きている者は、そういった死者が苦闘したあげくの姿なのかもしれない。生者が死んでいくのではなく……。(346頁)

内容
エルキュール・ポワロに手紙が届く。差出人はABC。
アンドーヴァーで何かが起こるようだ。でも、何が?
そして殺人が起こる。アッシャー夫人が鈍器で殴り殺されたのだ。死体のそばにはABC鉄道案内が置いてあった。

その後も届く手紙。
ベクスヒル・オン・シーで何かが起こる。
そして殺されたのは若き女性・バーナード嬢。やはりABC鉄道案内が置いてあった。

Aで始まる土地でAで始まる名前の人が殺され、Bで始まる土地でBで始まる名前の人が殺された。
次はCで始まる土地で誰かが殺される。警戒が進む中、カーマイケル卿が殺された。
だが、Dで始まる土地では、条件に当てはまらない人間が殺された。なぜ?

「灰色の脳細胞」で有名なポワロが、事件の謎を解いていく。

動機
私は子供の頃からミステリーが大好きでした。
事件が好きなわけではないのです。
事件に関わる人、被害者や加害者、その周囲の人間、動機、解決役の人柄や目の付け所などが興味深かったんです。

そんな私は周りから見て、“ちょっと変な子”だったんだと思います。
小学生の頃、成績表に担任から「現実逃避している」とか何とか書かれたことがありました。
転校生で「随分と柄の悪いクラスに入った(担任が私の母に言った言葉です)」私の、クラスに上手く馴染めずにいた姿を見ていたからだと思います。
かといって担任は、クラスに馴染めるように気を遣ってくれたわけでもありません。柄の悪い生徒を傍観し、ただ授業を教えるだけ。

悲しい思いをしました。
その頃はどうしてこんなに悲しいのか、感情を言葉に表現できずにいましたが、今なら分かります。
こうやって決め付け、自分が一番正しいと思いこんで他人を勝手に型にはめていく。そんな人間がどれだけ多いことか。

私が教師が大嫌いなのは、この小学生時代に原因があります。

…本とは関係のない話が長くなってしまいましたが(苦笑)、そんな小学生の頃、子供向けのミステリー小説を図書館で借りて読んでいました。
その中の1冊に、この『ABC殺人事件』がありました。

読み終わった感想は「何これ?!」
子供向けに要約したからなのか、大人向けの表現?を削除したせいなのか、随分と馬鹿にしたような内容になっていたのだと思います。
とっても変な、理解できないものになっていました。
お陰で、アガサ・クリスティーは大嫌いな作家になってしまいました。

ですが大人になり、子供向けじゃなくてきちんと訳された本を読んでみようと思い、図書館で借りてみました。

手軽な文庫で、さらには何となく翻訳ミステリーでは老舗の早川なら安心ではないかと、クリスティー文庫を選びました。

感想
違和感はあるけれど、子供向けミステリー小説で感じた「何これ?!」はさすがにありませんでした。

読みやすいし、ドラマや映画で時代やポワロの人物像がすでに出来上がっているためか、理解もしやすいです。
気取り屋でまどろっこしい理屈家なポワロは余り好きではないのですが、際立ったキャラクターだからこそ時代を超えて読まれ続け、映画やドラマにもなっているのでしょうね。
クリスティーのストーリー展開やトリックも大きいことは勿論ですが。

細かい人物理解の点で、納得できないところはあるのですけれど、現代のミステリーがとても詳細なものになっているため、そう思うのかも知れません。

事件の流れや動機、巻き込まれた気の毒な男、事件の被害者たちのその後に力が入っていて、ミステリーとして結末はいささかあっけないものがあります。

クリスティーの作品というよりも、この時代に興味を持ちました。
警察よりもポワロのような探偵が活躍する小説が多いと思うからです。
警察不信の時代だったのかな?
クリスティーも含め、色々と読んでみたいと思いました。

memo
「あなたには重要には思えないのですね? でも、女性にとっては、いちばん重要なことなんですよ。そのことで、えてして女性の運命が決まるんです!」(バーナード嬢が殺された事件の捜査で被害者が美しかったかと関係者に必ず聞くポワロに疑問を投げかけるヘイスティグズへ、ポワロからの返答/106頁)

まあ、その通りなんですけれど(…)。この事件で結局、この言葉の持つ意味がよく判りませんでした。美しい女性であることで(ちやほやされて)バーナード嬢は事件に巻き込まれることになりますが、では美しくない女性はどうなのか? この作品に出てくる女性たちは皆、聡明で個性的な美しさを感じさせるんですよね。美女とそうじゃない女性との対比でもあれば面白かったと思うのですが…。
内容
元作家の三上に元妻・佐和子から電話が入る。
4年前、二人の娘を含め12人もの人間を殺害したが、統合失調症を理由に刑罰に処せられなかった藤崎を、街中で見たという。

慌てて駆けつけるも、三上は藤崎を見つけることが出来なかった。
三上は佐和子の様子に、尋常ならざる印象を持つ。
現在の夫も佐和子の異常に気づき、かつて佐和子が通っていたという精神科医を訪ねる。
佐和子は娘を殺した男と同じく、統合失調症と診断されていた。

佐和子が見たのは特有の症状・幻覚だったのか?
それともやはり本当の藤崎なのか?
12人も殺害しながら、たった4年で自由に街を歩けるのか?

三上は佐和子を信じ、藤崎を探し始める。

三上が、佐和子が、辿りついた先にあるものは…。

動機
本屋さんで平積みされていた1冊です。

刑法39条を理由に罰せられない加害者。
何の落ち度もなくその場にいただけで殺害された被害者。
その両方の家族。周囲の人々。取り巻くマスコミ。

このような内容の小説は実際良く見かけます。
読むと消化不良を起こしてしまうものばかりなのですが、それでも読んでみたくなります。
この作品はどうだろう? そう思って図書館で予約。借りることが出来ました。

感想
読みやすかったです。
一文が短く、客観的で分かりやすい言葉で書かれています。
そのため、そのテーマの重さを考えると、どことなく薄く、緊迫感がない印象。

展開は自然です。
三上と佐和子の旧友である精神科医・松岡を登場させることで、難しい精神疾患や治療、刑法も説明が簡潔にスムーズにされています。

小説の主人公は三上であり佐和子なのですが、この二人の内面描写はあまり詳細ではありません(ただ、物語の展開上、佐和子の内面描写がないのは仕方ないことではあります)。
被害者側の苦しみなど、もうちょっとリアルに表現して欲しかった。

キャバクラ嬢・ゆきと言う女性が多く登場しますが、このゆきの存在は切ないです。
このゆきと藤崎が関わり、別の事件が起こります。
そして過去の事件も提示されます。

佐和子がある信念を持ってこの4年間生きていたことが分かります。
この点についてはあまり意外性は無く、それでも胸を打つものがあります。
ただ、前述しましたが緊迫感が無く、感動だとか問題点提示だとか、そういったものはありません。
なのでどこか物足りなさが残りました。

作者は誠実な人なんじゃないかな?
刑法39条を批判するとかそういった印象を持たせないように、そして被害者側にも加害者側にも気を使ってこの本を書いた、そんな感じがしました。
内容
“エンブリオ”とは受精後8週間までの胎児のこと。
サンビーチ病院長・産婦人科医の岸本は学会に背を向け、画期的な不妊治療を行っていた。
男女の産み分け。亡くなった夫の精子を使った人工授精。夫が原因で妊娠できない場合は無断で自分の精子を使って妊娠させる。さらには男性腹腔内妊娠の挑戦…。

それだけではない。
人工中絶した胎児の臓器は臓器移植に使われる。胎盤をクリームにして販売もしている。

パーキンソン病治療のために、胎児を人工中絶してその細胞を脳に注入させたりもする。
これは患者である父親を助けるためだけに妊娠させるのだ。

天才医師・岸川の光。そして後半明らかになる闇。
生殖医療の今後を考えさせる内容です。

動機
新聞の書評で、『インターセックス』と言う本が紹介されていました。
作者は元テレビマンで、現在は精神科医でもあるのですが、医師による性同一性障害を扱った小説と言う興味深い内容だったので、図書館で予約しました。

その『インターセックス』は続編だということを後から知りました。
ではその前に書かれた『エンブリオ』も先に読んでおこうと、こちらも図書館で予約。
単行本だと重いので、文庫本で通勤途中に読んでいました。

感想
何と言うか…。
読み終わった感想を一言で言うと、 なんかイヤ、すごくダメ、どうしても苦手!

クールと言うべきなのか、心情描写が殆どありません。
今起こっていることを中心に書いています。
感覚的といえば聞こえはいいけれど、一方的な比喩もないので読みやすいのですが…。

画期的な生殖医療のみならず、岸川と女たちの関係も書かれています。
その描写・会話からにじみ出る“ねっとり感”が苦手。

登場する岸川の恋人の描写も、みんな似たようなタイプばっかり。
女優や専業主婦から人材派遣会社を起こして軌道に乗せた社長など、有能そうな肩書きなのに、“美人、色白、豊かな乳房”など、実に単純な表現が目立ちます。

会話も、セレブ(?)の会話ってこんな感じなの?
本ですからもちろん文字だけですが、声をつけたら甘ったるそう。
こういう女性が作者の好みなんでしょうが、どれも有能そうな感じがしないんですよ。
岸川が、何処に惹かれたのかも書かれていないので、余計にそんな印象なんだと思います。
最も、本当に賢い女性って、いくつも仮面を持っていて、相手や状況に応じて使い分けるのかも知れませんね。

岸川の考えは、まさしく神そのもの。
生まれ来る命をコントロールし、失われた命も無駄にはしない。
生殖医療を超え、生命科学の分野にまで入り込んでいると思います。
ただそこに、当事者をあまり尊重していない冷徹さがあります。

生まれる命、助かる命、結果的に別の命を救う命。
その中心にいる岸川自身の周辺には不審死が続きます。
妻。恋人。スタッフ。どれも病死や事故死として扱われますが、どうして誰も疑わないの? これ、怪しすぎでしょう??
それに死ななければならなかった理由が分からないの人がいるのも消化不良。

先端医療そのものもそうですが、それらをめぐる政治や駆け引き、裏切り。
そういった内容は、とても興味深かったです。
内容
1440個の時計は、どれも1分ずつ違う。その中から正確な時刻を表示しているものを探し当てなければ、ここから脱出できない。では、どうやって…?
緊迫感ある文章、論理を武器に、たどり着く解答(表題作)。

名探偵・法月綸太郎(作者と同名)が活躍する作品で有名な著者の、本人曰くシングル・コレクションともいえる非シリーズ9編と、プラス法月林太郎(1字違うのはデビュー前の作品の為)が登場するボーナス・トラックを含んだ短編集です。

動機
一時期、作者・法月さんにハマっていました。

法月さんの短編を漫画化した1作を読み、これが当時の自分には衝撃的でした。
原作を読んでみたい!と思ったのですが、内容は覚えているのに、タイトルを忘れてしまって…^^;
その原作の短編に出逢うまで、法月さんの作品を読み続けていました。

ご本人も京大卒の秀才です。
失礼な言い方なんですが、いかにも頭のいい自信家が書いた感の強い文章と、少し上から目線の内容が面白くて、すっかりハマっていました。
当時手に入る法月さんの本は殆ど購入した程です。

ところが、購入したのはいいのですが、後から読み返すということがないことに気づきました。1度読んで、それっきり。
私がトリックなどよりも、犯人の動機や心情、被害者との人間関係に興味を持つタイプだというのが大きいとは思います。

まず図書館から借りて、気に入ったもの、手元に置いておきたいものだけを購入する今のスタイルになったのは、法月さんがきっかけです。

それ以来、法月さんの作品はあまり読まなくなってしまいましたが、今でも新作が出るとチェックしています。
今回も図書館から借りました。

感想
短編集でも、連作だったり、そこまでは行かなくても探偵役が一緒だったりして統一感のあるものもありますが、これは全くばらばらです。

「下ネタが入ったスラップスティック・コント(ご本人によるあとがきより)」あり、ペットを題材にしたファンタジーあり、死を題材にしたショートショートあり、都筑道夫氏の「贋作(ご本人によるあとがきより)」あり、デビュー前の習作を改題して再録したものあり。

これを作者の引き出しの多さと見るのか、アンテナを広げるだけ広げてうまく電波をキャッチできずにいると見るのかは、作品の質にあると思います。
私的には、後者の印象。とても残念に思いました。

これって現実にありうる?って思ってしまう要素が多くて。

短編ですから細やかな描写は難しいですし、虚構の事件を描いているのですから「現実にありうるか?」という考えも違うのでしょうが、ある程度の共感やリアリティがないと、満足できないのも確かです。

表題の『しらみつぶしの時計』。これが一番面白かったです。
法月さんらしい、生意気な1作です。

…と書いてある私が一番生意気なんですけど(苦笑)。
内容
1964年、医師・デイヴィッドとノラ夫妻に男女の双子(ポールとフィービ)が誕生するが、女児はダウン症だった。
デイヴィッドは妻を悲しませたくないがため、看護師・キャサリンに施設に預けるよう依頼する。
キャサリンは施設の現状を知り、自分で女児を育てることにする。
妻には女児は死んだと嘘をつくデイヴィッド。
その嘘が見えない壁を作り、人間関係を、愛情を、もつれさせてゆく。

動機
本屋さんで平積みされていた1冊です。

ダウン症を扱った硬派な内容だと思ったこと、また、訳者の後書きによると、実際にあったエピソードを基に作られた物語だということ(知らないうちに誕生後施設に預けられたダウン症の兄弟がいた人の話を著者は聞いたことがあるそうです)に興味を持ちました。

帯の高見恭子さんの安直なコピーに引っかかりながらも、図書館で予約しました。

感想
読んだことないのですが、ハーレクインロマンスって、こんな感じなのかな?と言う印象。
都合よく物事が進む。または自分を正当化する言動が目に付く。

デイヴィッドのしたことは、自分が貧しい家に生まれて苦労したこと、病気の妹がいたことから始まった自分の子供時代のような不幸を、家族に経験させたくなかったから、と言うのがどうやら最大の理由らしいのですが、それが物語中で明確ではないのでなかなか理解できません。
もっとも1964年当時、ダウン症児を施設に預けることは、実際によくあることだったらしいのですが。

後半、自分の生家に無断で宿泊していた妊娠中の家出娘を引き取るなど、それは自分が実質捨ててしまった娘・フィービへの贖罪を兼ねているのかもしれませんが、デイヴィッドの心情となかなか結びつかず、さらに物語の展開上必要なのかも考えてしまいました。

そしてノラ。
夫が医師であることを納得して結婚したはずなのに、急患のため帰宅が遅いことや休みが少ないことに大きな不満を抱いている。ただのワガママにしか見えません。

パートの仕事が面白くなり、ついには事業を買い取って成功を収める。
事業家として成功を収められそうな要素が描かれていないので、都合よすぎると思いました。

数年にわたって浮気を続ける。その浮気を無言で受け入れる夫。
それに甘え、むしろ夫のせいにして満たされない感情を家の外で発散させようとする姿勢には、何一つ共感できませんでした。

キャサリンも、血縁関係のないダウン症児を抱え、看護師の資格を生かして新天地で生活を始めますが、理解ある雇い主のもと、ダウン症児を抱えた母親としては理想的な家付きの仕事を見つけ、全てを知って受け入れてくれる男性と知り合って結婚、さらには雇い主から家まで無償提供されています。

フィービの将来に不安を抱き、調べ物をしに行った図書館で知り合った女性も同様にダウン症児を抱えており、一緒に子供の権利を守るために活動を始める。
その活動も少しの説明しかないので、どれほどの頑張りか伝わりにくいです。

どれほどの愛情や信頼関係を築いていったかのプロセスが随分と省略されているので、結婚や家を提供される点が、これまた都合よい印象を持ってしまいました。

キャサリンがフィーヴィを引き取った理由…彼女の孤独が、彼女が信頼されるに納得できる言動が、本文中にもっとあれば。
もっとも、ノラに比べれば、終始一貫したものがあるので共感できるのですが。

前半から中盤までは、読むのやめようかと思ったほどです。
登場人物に共感できないまま読むのが苦痛でした。
説明に比喩が多く、感覚的に理解させようとしているのか、それもイヤでした。
それでも、全米でロングセラーになったという理由を知りたい一心で、読み進めていきましたが。
後半になり、少しずつ納得できる展開になってきたので、読み終えることができました。

ダウン症児についての血のつながらない母娘の葛藤や世間との戦い、知らずに生活する実の家族の対比。
そんな内容を想像していたのですが、そうではありませんでした。
ダウン症はただの設定。愛情があっても心通わせられない家族の悲しみ(デイヴィッド、ノラ、ポール)と血縁関係がなくとも築き上げられる家族の信頼(キャサリンと夫のアル、フィービ)。
ダウン症は2つの家族を結びつけるひとつの設定だったようです。

memo
「(略)たしかにあなたは、たくさんの苦しみを回避できたと思う。でもデイヴィッド、その分味わえなかった喜びも多い」(334頁)

「(略)待ちたくなんかない。ただそれだけだった。若い日の彼女は、ひたすら待ち続けた-人に認めてもらうことを、冒険を、愛を。フィービを抱いてルイヴィルの施設を飛び出したとき、荷物をまとめて町を出たとき、はじめて本当の人生が始まった。待つことが吉と出たためしは一度もない。」(337頁)

「(略)これが私の生活。かつて夢見ていたものとはほど遠いし、若いころの自分が想像していた、あるいは望んでいた人生とはだいぶ違うかもしれないけれど、これが私の生きる毎日だ。それなりの複雑さや問題を抱えてはいるものの、私が注意深く、入念に築きあげた、すてきな人生。」(340頁)

「あなたには思いどおりに生きる権利がある。でもお父さんの言うことも正しいの。人生にはつねに制約がつきまとう。そこを切り拓いてこそ、あなたは独り立ちできるの。」(411頁)

「(略)これからずっと、僕はこんなふうにとまどい、胸を痛めるのだ。フィービの不器用さに、人とちょっと違うからというだけで彼女が直面する困難に。でも、彼女のてらいのない純粋な愛情があれば、そのすべてを乗り越えられる。」(543頁)

内容
立川談志の弟子が書いた、自伝的エッセイです。
落語家を志した訳、師匠とのエピソード、切磋琢磨しながら共に成長した兄弟弟子との関係、辞めていった仲間達。談志とその師匠・小さんとの知られざるエピソード…。
2008年度講談社エッセイ賞受賞作。

動機
本屋を覗いてみたところ、平積みされていたこの本が目に留まりました。
モノクロの著者の写真にひきつけられ、思わず手に取りました。
裏表紙はめだか(赤ではありませんが)の可愛いイラスト。
このセンスの良さ(表紙デザインは南伸坊さん)、さらには帯に絶賛の言葉。
落語は好きだし、とすぐさま図書館に予約を入れました(買ってない^^;)。

感想
「男惚れ」ってこういうことなのかな、と読み終わってまず思いました。
著者の、師匠(談志)への思いを感じます。

登場する女性が、著者の母親と築地で修行していたお店のおかみさんくらいという、とても男臭い内容なのも、その印象を強めているかもしれません。

落語家らしいテンポとリズムを感じる文章が、ぐいぐい読ませます。
中ごろになると、関係者の実名が多く出てきて気を使ったのか(考えすぎかな)、ちょっとテンポが落ちたように感じたのですが、気のせいでしょうか?

最初は競艇選手になろうと思っていたが身長制限のため諦め、落語に触れて落語家を志す。
最初の競艇場でのエピソードにまず笑えます。

辞めていった仲間達。支えてくれた周囲の人たち。
豪快だけれど細やかな、そんな人情味溢れたエピソードが綴られています。

「赤めだか」とは、師匠が可愛がっていた金魚のこと。
餌をやってもやっても大きくならないので、「金魚ではなく赤いめだかだ」と言われていたその金魚に、辞めていった弟子の一人がずっと餌をやっていたエピソードが書かれています。
このタイトルを選んだのは、辞めていった仲間への、そしてこれから成長するであろう弟子たちへの、想いが込められているのかも知れません。

特別篇その一とその二は、弟子でなければ書けない、立川談志の姿が書かれてあります。
実は立川談志という人はあまり好きじゃなかったのですが(落語家なのにもごもご話して聴きにくいというイメージがありました)、生身の人間としての魅力が伝わります。

ちなみに、先日TV『情熱大陸』にこの著者が出ていました。
この本を読み終わってすぐだったので、興味深く視聴しました。

memo
後年、酔った談志(イエモト)は云った。
「あのなあ、師匠なんてものは、誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん、と思うことがあるんだ」(69頁)

「(略)型ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりしや奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか? 難しすぎるか。結論を言えば型をつくるには稽古しかないんだ。(略)いいか、俺はお前を否定しているわけではない。進歩は認めてやる。進歩しているからこそ、チェックするポイントが増えるんだ(略)」(「狸」を師匠の目の前で稽古した著者に、師匠・談志が言った言葉/73頁)

何の確約も無い言葉でも、人間はすがりつく時がある。すがりつかないと前に進めないことがある。それを、自分は決断したなどと美化した上で、現実をみとめることもなく、逃げ道まで用意してしまう弱さがある。(79~80頁)

「負けるケンかはするな」が我が家の家訓で、それは相手から逃げるという意味ではない。勝てる、最低でも五分の戦いができるようになるまでは相手を観察し、研究する。そのためには格好つけている暇はない。至近距離まで飛び込んでみよう。(115頁)

「(略)談春は談志にはなれないんだ。でも談春にしかできないことはきっとあるんだ。それを実現するために談志の一部を切り取って、近づき追い詰めることは、恥ずかしいことでも、逃げでもない。談春にしかできないことを、本気で命がけで探してみろ」
(略)「あのな、誰でも自分のフィールドに自信なんて持てない。でもそれは甘えなんだ。短所は簡単に直せない。短所には目をつぶっていいんだよ。長所を伸ばすことだけ考えろ。談春の長所がマラソンなら、マラソンで金メダルとるための練習をすればいいんだ。マラソンと一〇〇メートル、両方金メダルはとれないんだよ。マラソンと一〇〇メートルではどっちに価値があるかなんてお前の考えることじゃない。お前が死んだあとで誰かが決めてくれるさ。お前、スタートラインに立つ覚悟もないのか」(弟弟子に先に昇進された後、少し自棄になった著者にさだまさしが言った言葉/267~268頁)

内容
ある夜、流星群を見ようと家を抜け出した、功一、泰輔、静奈の3兄妹。
自宅に戻ってきたところ、丁度3人の家から出てくる見知らぬ男を見かける。
不審に思いながらも家に入ってみると、両親は殺害されていた。

あの男が犯人に違いない。

しかし、その男の情報を得ることがないまま14年が過ぎ、3人は共同して詐欺をして生活するようになっていた。
“獲物”として狙いを定めた男。その男の父親は、両親が殺害された日に見た“あの男”だった。

動機
東野作品は好きでよく読みます。
ただ、面白い作品ばかりなのですが、当たりはずれが大きいという印象があり、購入せずに図書館から借りました。

感想
ドラマ化もされたベストセラー小説ですが、ドラマは一切見ていません。
主演(功一役)が嵐の二宮君って言うのが、年齢や詐欺グループのリーダー格で「(功一の)下した判断はいつも正しかった」と言わせる程なのに、知性を感じないキャラクター的に疑問なんです。

この作品も面白かったのですが、東野さんの作品って時々、「こんなやり方でうまくいくなんて都合よすぎる」って思わせることが多々あります。この作品もそうでした。
確かに詐欺って、現実でも「どうして騙されてしまったんだろう?」って言うようなことがありますから、有り得ない訳じゃないんでしょうけれど、そうなるとリーダー格で作戦参謀の功一の性格と合わないと思ってしまい、違和感が残りました。

更には、静奈が騙そうとする戸神に惹かれるのも説得力が薄くて。

これって何を読む小説なのかな?

最初は詐欺をしながら自分の肉親だけを信じてきた3兄妹たちが、詐欺をしながら両親殺害の犯人を突き止める、その過程を読ませる小説だと思っていたのですが、上記のようにどうも納得できなくて。

最後、真犯人と、3兄妹と戸神との新しい関係には、東野圭吾らしいとは思いました。
内容
たった一人の肉親である母を亡くした10歳の少女・シルバーは、灯台守のピューに引き取られる。
ピューは目が見えないが、燈台守として火を守り続けること以上に、物語を語り続けることを大事とした。

100年前スコットランド北西の港町・ソルツに生きた牧師、バベル・ダークの物語を、ピューは話し始める。
バベル・ダークは、ソルツでの聖職者としての生活(しかし妻を見下していた)と、ブリストルでの偽名での生活(かつての恋人と数ヶ月過ごしている)という二重生活を苦悩のまま続けていた。
神への信頼も自分自身も見失い、結果選んだものは。

灯台が無人化されることになり、ピューと離れ、ピューの物語を通じて知った“愛”を求め探す旅に出るシルバー。

バベルとシルバーの物語は交差し、最後に灯台でシルバーは「一条の光」を見出す。

動機
某ネット書店内をネットサーフィン中に見つけました。
レビューが好評だったため、図書館から借りてみました。

感想
“非常に感覚的”な1冊だと思いました。
そして、私は「感覚」を大切にしてはいるけれど、論理的な人間なんだろうなと思わせられた1冊です。

今どこで何が、というのは曖昧な部分があります。
シルバーが出逢った恋人も唐突に登場します。アルツハイマーの妻がいる男性らしい、ということくらいしか分かりません。
あれ?と思って何度も頁を遡ってしまいました(笑)。

こういう作品は、このような点を重要視しては先に進めないんですよね。

欲しいもの(喋る鳥や本など)は盗ってでも手に入れてしまうような、シルバーの純粋さというか率直さは自分からは遠いところにありますが、常識に捕らわれず価値観を押し付けない柔軟さと繊細さは共感しました。

翻訳が良いこともあるのでしょう。比喩が多用されていますが、とても魅力的です。
特に最後の恋人との愛を交わす場面は美しいです。

「行動の末、自分で選び取った」ということが大切な人と、「プロセスや心の動き」に注目してしまう人とがいるのではないでしょうか。
私はどうも後者のようです。

memo
それもまた一つの話だ。自分を物語のように話せば、それもそんなに悪いことではなくなる(35頁)

ジ・エンド。また新しく物語を始めなきゃ。顔を上げろ。前進あるのみ。けっして後ろを振り返るな。後悔したって始まらない(203頁)

わたしを開いて。大きく。小さく。わたしをくぐって。向こう側にあるものは、そうすることでしかたどり着けない。この、あなた。この、いま。生のはてまでつらなる、この、とらえられた一瞬。(229頁)

わたしたちは幸運だ。たとえどん底の時でも。ちゃんと夜は明けるのだから。(241頁)

わたしの体は、ジャコウネコと家猫とでできている。
この野性の心と人恋しい心のあいだで、どう折り合いをつければいいだろう? 野性の心は自由を求め、人恋しい心は家に帰りたがる。ぎゅっと抱きしめて欲しい。(あまり近くに寄らないで。)夜になったらわたしを抱きあげて家に連れてかえって。(誰にも居場所を知られたくない。)誰にも見つからない岩のすき間に隠れていたい。(あなたといっしょにいたい。)(209頁)

「自分自身をつねにフィクションとして語り、読むことができれば、人は自分を押しつぶしにかかるものを変えることができるのです」―これは『ガーディアン』紙のインタビューでウィンターソンが語った言葉だ。(訳者あとがきより/248頁)

画像が表示できない…。

内容
看護師のガールフレンド・カリーナから突然廃工場に呼び出された刑事弁護士のロベルト。彼女は脳腫瘍で重篤な患者・10歳のジーモンを連れて救急車で現れた。
ジーモンは「前世で15年前に人を殺し、この工場に隠した」と語る。実際白骨死体を発見したロベルトは、第一発見者として逆に警察に疑われることになる。
死体の身元は犯罪者だった。その後も前世での犯罪を語り始めるジーモン。その通りに死体を見つけるロベルト。
そんなロベルトの自宅に届けられたDVDには、乳幼児突然死症候群で亡くなったはずの我が子が殺される場面、そして我が子と同じ場所に同じ形の痣がある少年が写っていた。我が子は本当に死んだのか? 痣のある少年は誰なのか? 輪廻転生は本当にあるのか? 前世とは? そして死体として見つかった犯罪者たちは何故、誰に殺されたのか?
ロベルトは否応無しに事件に巻き込まれ、そして真実を突き止めていく。

動機
たまたま立ち寄った本屋の一等地に平積みされていた1冊です。
私は行ったことも無いのにドイツ好きなのですが、これがドイツ人作家による作品だと言うことと、帯にあった「少なくとも、10回の絶叫をお約束します」のコピーに惹かれ、読んで見たいと思いつつ、翻訳物は当たりはずれが多いからとこれまた図書館で借りることに。
出版されてそれほど日が経っていないためか、かなり早く順番が回ってきました。

感想
タイトルだけで判断すると、スピリチュアル関係の本かな? と思いそうですが、いわゆるサイコサスペンス(ミステリーって言うほどの謎解きはありません。犯人解明や推理に至るまでのヒント・手がかりは殆どありません)です。余命少ないジーモンに希望を持たせる為に、カリーナが受けさせた前世療法がきっかけで、次々死体が発見されていきます。
児童買春の実態(本当にこうなんだろうか?)と、犯人に辿り着くまでの主人公の心境の変化などを読み取っていくストーリーです。

翻訳物ですが、訳者が丁寧に翻訳しているので、文章に違和感がありません。たまに違和感タップリの翻訳文に当たり、スムーズに理解できないことがありますけれど、その点は安心です。ぐいぐいと読み進められます。

読後の感想を一言で言えば、「典型的」。このようなサイコモノは、核となる事件はそれぞれ異なっていても、結局は同じような展開になっていくのですね。実際、以前どこかで読んだような…? でも思い出せない、と言った印象を持ちました。
なので、ハラハラする…というか、させようとする場面はあるのですが、先が読めるので冷静に読めます。
面白いミステリーだと何度も読み返して伏線を探したりするなど、何度も楽しめるのですが、これは読み終わってももう一度読み返そうなどとは思えなかったです。
またラストがよくあるパターンで、これがガッカリでした。

作者が映画化を前提として書いた、売れ筋のサスペンス。児童買春が非常に現代的な問題なのと、主人公の感情を大切に描いている点、そして登場人物たちが私的に好感の持てるタイプばかりだったのが、最後まで読ませたと思います。
訳者が巻末の解説にこう記載しています。「仕事以外では無気力の塊のような彼(ロベルト)が、不治の病に冒されたジーモンに出会い、保護する対象を得たことで、次第に精神的な麻痺状態から立ち直り、生きる意欲を取り戻していく。その意味で、これは癒しの物語である」。
その通り、これはミステリーとしてでもサスペンスとしてでもなく、一人の男性が精神的に癒され立ち直っていく過程を読む小説なのだと思いました。

ちなみに、10回どころか1回も叫ぶようなシーンはありませんでした(苦笑)。
内容
大学を経済的な理由から休学した恵介は、学費稼ぎを目的に、映画館で映写技師のアシスタントのアルバイトを始める。
映写技師のルカは、3年間も映写室で寝泊りし、映画館の外に出たことがなかった。
ルカの過去を詮索しない、ルカとの恋愛は禁止などの条件を出されるが、恵介は次第にルカと心を通わせるようになっていく。
ルカが映画館に閉じこもるようになった理由。恵介の家族が抱える事情。それらを通して描かれる繊細で優しい、そんなふたりの恋の物語。

動機
新聞の下欄によく本の広告が載っていますが、これもその1冊。
キャッチコピーと装丁に惹かれて、こちらも図書館で借りました。
待たされるかなと思っていたのですが、意外と早く読めました。

感想
アマゾンのレビューでは、なかなか好評なこの本。映画化を期待、などと書かれてありました。
確かに、映画化されてもおかしくない内容です。でも、対象年齢は低そう。
王道を行く内容なので、演技がしっかり出来る役者さんじゃないと、見るに耐えない映画になりそうです。

作者が実際に映画館の映写室でアルバイトをしていた方なので、その表現はリアルです。
映写技師と言う仕事へのプライドみたいなものも感じます。

コピーには「切なく胸を打つ、感動の青春ミステリー」とありますが、切なさは確かにあるけれど少しだけ。
ミステリーと言うほどの謎はなかったです。…高校時代なら納得できるコピーだったかも…。

memo
「「やさしいっていいことばかりじゃないなって」
優しさを胸に人と接しても、オヤジのような人間は必ずやそのやさしさにつけ込み、自分勝手な振る舞いや不義理な行いを繰り返す。やさしさを食い物にしながら平然とのさばる人間は、悲しいことだが世の中には驚くほどたくさんいる。
(略)生半可なやさしさなど持っているために、オヤジを至らなくてかわいそうな人として、その存在を許してしまう。
きっとやさしさは、許せるか許せないかといったことを量る心の天秤に、迷いばかりをもたらす。(略)
やさしいということ。それがいいことばかりだとは限らない。やさしさなんていらない。そう叫びたくなるときだってある。(65〜66頁)」
ああ、すっごいよく分かる。自分もその「やさしさ」につけ込まれるタイプなのですが、同じ事をいつも考えています。人に対して構えながら接することに、疲れてしまっています。

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