『日本を貶めた10人の売国政治家(小林よしのり編/幻冬舎新書)』
2010年2月4日 事実を知る
内容
日本人なら誰でも日本の政治に、政治家に期待する。
だがその期待もむなしく、ここ数年の政治の堕落、
政治家の質の低下に、どれだけ失望させられ、
ついには諦めてしまった様に見える。
存命の政治家の中で、学者・識者が選んだ
最悪の10人の売国政治家たち。
この本を読んで、国民は怒らなければならない。
そして知らなければならない。この政治家たちが何をしたのかを。
そして政治家たちも恥を知らなければならない。
自分達が何をしてきたのかを。
小林よしのりによる序論「売国政治家とは何か?」から始まり、
売国政治家のアンケート発表、学識経験者5人による座談会の第1部、
そしてトップ10の政治家一人ひとりの「売国」たる所以を書いた第2部、
そして20人からなるアンケートの中身を公開した第3部からなる、
「殺気を孕んだ」1冊。
動機
本屋で売り上げトップ10に入っていたため、
そしてタイトルに惹かれた、
更に今の政治に諦めを抱きながらどこかで期待している、
ひとりの小市民(国民)として、
読んでみたいと思い、図書館で借りました。
感想
まず、「売国」と言う意味の定義を考えました。かなり強烈な言葉だからです。
全体的に右よりかな?
でも、その思想の向きはこの際どうでも良いと思っています。
売国の定義としては、主に外交姿勢(特に媚中派)、歴史認識(従軍慰安婦問題)、
思想認識(靖国神社問題)などを基準に答えている方が多いです。
経済問題とか雇用問題とか、それに関わる格差問題とかは、
あまり話題に上がっていません。
何を基準に売国奴とするのかは難しいものを感じますが、
政治家としての能力以上に、日本の誇りを外国に売った姿勢、
と言う点なのかという気がしました。
読者としては、今の日本の状態で日本人としての誇りと言われても、
難しいと思うんですよね。誇りを持てないと言うか…。
1部の座談会は面白いです。
話しながらお互いが欠けているものを補って、一つの思想にまとめている感があります。
2部は…難しいです。
納得できるものもあれば、とても違和感を感じるものもあり。
第3位の“小泉純一郎”は非常に実感できるものがありました。
売国の定義はばらばらです。
特に3部には大いに疑問を抱いた点もあります。
何しろ、「禁煙」を定義にした人もいるくらいですから。
まともな歴史認識を持たぬまま、一般常識すら得ずに大人になった、頭の悪い人たち。
それが政治家なのかな、と余計に諦めの気持ちが大きくなりました。
日本人なら誰でも日本の政治に、政治家に期待する。
だがその期待もむなしく、ここ数年の政治の堕落、
政治家の質の低下に、どれだけ失望させられ、
ついには諦めてしまった様に見える。
存命の政治家の中で、学者・識者が選んだ
最悪の10人の売国政治家たち。
この本を読んで、国民は怒らなければならない。
そして知らなければならない。この政治家たちが何をしたのかを。
そして政治家たちも恥を知らなければならない。
自分達が何をしてきたのかを。
小林よしのりによる序論「売国政治家とは何か?」から始まり、
売国政治家のアンケート発表、学識経験者5人による座談会の第1部、
そしてトップ10の政治家一人ひとりの「売国」たる所以を書いた第2部、
そして20人からなるアンケートの中身を公開した第3部からなる、
「殺気を孕んだ」1冊。
動機
本屋で売り上げトップ10に入っていたため、
そしてタイトルに惹かれた、
更に今の政治に諦めを抱きながらどこかで期待している、
ひとりの小市民(国民)として、
読んでみたいと思い、図書館で借りました。
感想
まず、「売国」と言う意味の定義を考えました。かなり強烈な言葉だからです。
全体的に右よりかな?
でも、その思想の向きはこの際どうでも良いと思っています。
売国の定義としては、主に外交姿勢(特に媚中派)、歴史認識(従軍慰安婦問題)、
思想認識(靖国神社問題)などを基準に答えている方が多いです。
経済問題とか雇用問題とか、それに関わる格差問題とかは、
あまり話題に上がっていません。
何を基準に売国奴とするのかは難しいものを感じますが、
政治家としての能力以上に、日本の誇りを外国に売った姿勢、
と言う点なのかという気がしました。
読者としては、今の日本の状態で日本人としての誇りと言われても、
難しいと思うんですよね。誇りを持てないと言うか…。
1部の座談会は面白いです。
話しながらお互いが欠けているものを補って、一つの思想にまとめている感があります。
2部は…難しいです。
納得できるものもあれば、とても違和感を感じるものもあり。
第3位の“小泉純一郎”は非常に実感できるものがありました。
売国の定義はばらばらです。
特に3部には大いに疑問を抱いた点もあります。
何しろ、「禁煙」を定義にした人もいるくらいですから。
まともな歴史認識を持たぬまま、一般常識すら得ずに大人になった、頭の悪い人たち。
それが政治家なのかな、と余計に諦めの気持ちが大きくなりました。
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『脱ニッポン人生 自分の居場所の見つけ方(大倉直著 草思社刊)』
2009年8月23日 事実を知る
内容
作者が海外を旅していた20代で知り合った人たちは、
作者が40代となった今はどうしているのか。
そして今、40代で旅に出たらまた新たな出会いがあるのではないか。
タイ、アメリカ、メキシコ、ネパール、トルコ…。
日本にはない何かを求めて海外へと渡った人たちの“来歴”と“今”を探る。
動機
新聞の書評欄で紹介されていた1冊です。
自分の今後に悩んでいたこともあり、大変興味を持ち、図書館で予約しました。
予約冊数はそれほど多くなかったのですが、
この不況のためか?購入数に限りがあるのか在庫数がかなり少なく、
半年ほど待って読めました。
感想
海外で作者が会った日本人たち。
夢を見て日本を出て、夢の途中で作者と出会い、その後を追ったものです。
プロレスラーを夢見て高校を中退し、単身メキシコへ渡った17歳の少女・咲子。
その後19歳で結婚、20歳で母になり離婚。
日本に帰国して紆余曲折を経て26歳でついにプロレスラーに。
「三十歳。私さあ、こんな三十歳になれるなんて、全然想像してなかったよ。こんなしあわせになれるなんて(34頁)」
建築家とアーティストという両方を夢見て、自由に創作活動したいと
物価の安いメキシコへ渡った康志。
廃材や石を使ったオブジェを作り続け、35歳で現地の女性と結婚、
地元に馴染んでいるためか、近くの村で建築の教会の設計を任されている。
「教会っていうのはやってみたい仕事でしたからね。タダでもいい仕事をすれば、今後につながっていくかもしれないでしょ。それに教会っていうのは自分が死んでも、百年、二百年とそこで祈りがくりかえされるっていうかね(52頁)」
大学時代に知り合って中国系タイ人留学生と駆け落ち、
彼の国で生活を始めるが10年後離婚、50代で大学講師の職を得て自立、
駆け落ちと同時に疎遠になった認知症の母親をタイへ引き取り看取った周子。
「タイにきてしまったことを何度も悔やみはしたけど、すべてはこうやって母をいとおしく思えるための神の計画だったんだって、いまは思うんです。なんて長い計画だったのだろうって(73頁)」
青山圭秀の著作に師として登場するカトリック・イエズス会神父は、
進学校の授業で愛と奉仕について説いていた。
そして海を越えてネパールで実践し、80歳になった。
「よくいわれるんですよ、『これからのご計画を教えてください』って。そんなのないですよ。いつだって私が計画して進めてきたわけじゃないんですから(138頁)」
僕が50歳になったら仕事を辞める、そしたら君が養ってくれ。それまで君は好きなことをすればいい、と妻に言い、それを本当に実行に移した夫婦・浩平とセツ。
妻は日本で住宅リフォームコンサルタントとして成功し、
夫はトルコでマラソン大会に備えてジョギングを欠かさない。
「私はいつもこう思うんです。『禍福はあざなえる縄のごとし』ってね。人生ってそういうものなんでしょうね(158頁)」
絵描きを目指して挫折、台湾で父の事業を手伝ったあとメキシコへ。
23歳で17歳の現地女性と結婚し、ホテル経営を夢見るも、
借金して新築したペンションの宿泊客の女子大生を追い、ふられ、
妻にホテルを慰謝料として渡して離婚、
今はシルバーアクセサリー工房のデザイナーに転身した孝志。
「若い頃は成功したい、金をもうけたいという思いが強かったが、最近は「ただもうかればいい」とは考えなくなった。自分が好きなこと、興味のあることと関わる仕事をしたいという。そうでなければリスクを抱えながら事業をする意味もあまりないように孝志は思うようになった。(207頁)」
これが全員ではありませんが、印象に残った人々を書き記しました。
大きな夢、ギラギラした欲望は、いつしかシンプルで自然体な自分へと還って行くのかもしれませんね。
地に脚着けてたくましく自分らしく生きる清清しい人たちが多いためか、ぐいぐいと読ませてくれます。
ですが読後は爽やかというよりも、どこか切なさを感じました。
きっと自分なりの幸せを掴んだ人ばかりが描かれている訳ではないからだと思います。
ヤク中になってしまった康志の友人・広司。
妻に逃げられ、貯金もなく社会的保証もないままマンガ本屋を営む修。
展望の見えない現代は、日本でも変わらないからだと思います。
ちょっと切なく、かなり面白い。
作者の人懐っこく、相手に警戒心を感じさせずにすぐに人と仲良くなれる性格が、羨ましく感じられた1冊です。
作者が海外を旅していた20代で知り合った人たちは、
作者が40代となった今はどうしているのか。
そして今、40代で旅に出たらまた新たな出会いがあるのではないか。
タイ、アメリカ、メキシコ、ネパール、トルコ…。
日本にはない何かを求めて海外へと渡った人たちの“来歴”と“今”を探る。
動機
新聞の書評欄で紹介されていた1冊です。
自分の今後に悩んでいたこともあり、大変興味を持ち、図書館で予約しました。
予約冊数はそれほど多くなかったのですが、
この不況のためか?購入数に限りがあるのか在庫数がかなり少なく、
半年ほど待って読めました。
感想
海外で作者が会った日本人たち。
夢を見て日本を出て、夢の途中で作者と出会い、その後を追ったものです。
プロレスラーを夢見て高校を中退し、単身メキシコへ渡った17歳の少女・咲子。
その後19歳で結婚、20歳で母になり離婚。
日本に帰国して紆余曲折を経て26歳でついにプロレスラーに。
「三十歳。私さあ、こんな三十歳になれるなんて、全然想像してなかったよ。こんなしあわせになれるなんて(34頁)」
建築家とアーティストという両方を夢見て、自由に創作活動したいと
物価の安いメキシコへ渡った康志。
廃材や石を使ったオブジェを作り続け、35歳で現地の女性と結婚、
地元に馴染んでいるためか、近くの村で建築の教会の設計を任されている。
「教会っていうのはやってみたい仕事でしたからね。タダでもいい仕事をすれば、今後につながっていくかもしれないでしょ。それに教会っていうのは自分が死んでも、百年、二百年とそこで祈りがくりかえされるっていうかね(52頁)」
大学時代に知り合って中国系タイ人留学生と駆け落ち、
彼の国で生活を始めるが10年後離婚、50代で大学講師の職を得て自立、
駆け落ちと同時に疎遠になった認知症の母親をタイへ引き取り看取った周子。
「タイにきてしまったことを何度も悔やみはしたけど、すべてはこうやって母をいとおしく思えるための神の計画だったんだって、いまは思うんです。なんて長い計画だったのだろうって(73頁)」
青山圭秀の著作に師として登場するカトリック・イエズス会神父は、
進学校の授業で愛と奉仕について説いていた。
そして海を越えてネパールで実践し、80歳になった。
「よくいわれるんですよ、『これからのご計画を教えてください』って。そんなのないですよ。いつだって私が計画して進めてきたわけじゃないんですから(138頁)」
僕が50歳になったら仕事を辞める、そしたら君が養ってくれ。それまで君は好きなことをすればいい、と妻に言い、それを本当に実行に移した夫婦・浩平とセツ。
妻は日本で住宅リフォームコンサルタントとして成功し、
夫はトルコでマラソン大会に備えてジョギングを欠かさない。
「私はいつもこう思うんです。『禍福はあざなえる縄のごとし』ってね。人生ってそういうものなんでしょうね(158頁)」
絵描きを目指して挫折、台湾で父の事業を手伝ったあとメキシコへ。
23歳で17歳の現地女性と結婚し、ホテル経営を夢見るも、
借金して新築したペンションの宿泊客の女子大生を追い、ふられ、
妻にホテルを慰謝料として渡して離婚、
今はシルバーアクセサリー工房のデザイナーに転身した孝志。
「若い頃は成功したい、金をもうけたいという思いが強かったが、最近は「ただもうかればいい」とは考えなくなった。自分が好きなこと、興味のあることと関わる仕事をしたいという。そうでなければリスクを抱えながら事業をする意味もあまりないように孝志は思うようになった。(207頁)」
これが全員ではありませんが、印象に残った人々を書き記しました。
大きな夢、ギラギラした欲望は、いつしかシンプルで自然体な自分へと還って行くのかもしれませんね。
地に脚着けてたくましく自分らしく生きる清清しい人たちが多いためか、ぐいぐいと読ませてくれます。
ですが読後は爽やかというよりも、どこか切なさを感じました。
きっと自分なりの幸せを掴んだ人ばかりが描かれている訳ではないからだと思います。
ヤク中になってしまった康志の友人・広司。
妻に逃げられ、貯金もなく社会的保証もないままマンガ本屋を営む修。
展望の見えない現代は、日本でも変わらないからだと思います。
ちょっと切なく、かなり面白い。
作者の人懐っこく、相手に警戒心を感じさせずにすぐに人と仲良くなれる性格が、羨ましく感じられた1冊です。
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『パピヨン(田口ランディ著 角川学芸出版刊)』
2009年8月16日 事実を知る
内容
チベットの寺にあった月刊誌で知った、エリザベス・キューブラー・ロス。
エリザベス・キューブラー・ロスとは…。
スイス生まれの精神科医。アメリカ人と結婚して渡米、死の研究を始める。
もっとも有名なのは、人は死を受容するまでに、
否認・怒り・取引・抑鬱・受容の5段階を得るという『死の受容の五段階』の論文。
ロスは死の研究を通じて今日に至るホスピスケアの基礎を築いた人です。
その研究は多くの末期患者と話した末に見出されたものでした。
末期患者を探す様子にロスは「死にたかるハゲタカ」と誹謗中傷を受けるのです。
通俗的な死の概念を打ち崩すそれら研究は、60~70年代には非科学的で世間からは受け入れられませんでした。
何故かそのロスが自分を呼んでいるような気がして、作者はロスについて調べ始め、
雑誌に連載を始めます。それがこの『パピヨン』です。
タイトルの『パピヨン』はご存知の通り蝶のことです。
なぜ蝶なのかと言えば、20歳のロスが第二次世界大戦後に
国際平和義勇軍のボランティアとしてポーランドに赴いた際、
ユダヤ人大量虐殺の現場にもなったイダネック強制収容所を見学します。
そこで寝棚の壁に残されていたたくさんの蝶の絵を見つけます。
なぜ蝶の絵なのか。死を前にした人々がなぜ?
ロスを追ってポーランドのマイダネック強制収容所に行った作者は驚くのです。
そこに蝶の絵などなかったのですから。ロスはどこで蝶を見たのか?
だが、この取材から帰国した作者を待っていたのは、実父の大怪我。
その治療中に発覚した末期癌だった。
甦る実父との過去の確執。介護。
それらは不思議とロスの著作の言葉とつながり始める…。
動機
田口ランディという作家は好きではなく、殆どチェックしていなかったのですが、
新聞の書評欄で紹介され、興味を持った1冊です。
書評を読み、読んでみたいと思い、図書館で予約。
それは恐らく私が、要介護5の認知症の伯父の介護をしていたことも
関係あるのだと思います。
感想
私が作者のことを苦手とするのは、かつて起こった盗作騒動よりも、
余りにも過去を売り物にしている感が強すぎるためだと思います。
私的な内容を描きながらも、自身で結論をはっきりさせないところが、
丸投げ感を感じてしまうのです。
文体も苦手。比喩に品がないというか…。
この本は全体的に霊的、スピリチュアルな内容です。
それに私的な感情・出来事を並行させています。
不思議とリンクするロスの言葉と父の状態。より不思議感を際立たせています。
私はスピリチュアルな世界を否定するつもりは全くありません。
私自身霊感がなくそのような経験をしたことがないため、
全面的に信じることは難しいですが、理屈で割り切れない、説明できないことは
たくさんあるからです。
この作品も作者の私生活を書き記した1冊です。
暴力的な父親、耐えるばかりの母親。兄は引きこもりの末に餓死。
壮絶です。そうなのですが…。
作者の父親は転院を繰り返し、ホスピスに入ります。
末期がんを告知するのですが、父親は何とそれを忘れてしまうのです。
アルコール中毒からの離脱症状から欲した認知症はよくなっていたはずなのに(あり得るのか?)、死を認めたがらない姿を描いています。
そして父の死。
父を憎みながら描き続けてきた作者がひとつの結論を得るのです。
…蝶のことです。
40代になったロスは、より精神的なもの、非科学的なものにのめりこみ、霊媒師の影響もあって、「死は終わりではない。人間は蛹から蝶になるように、肉体を脱ぎ捨てて魂となって別の次元に入っていくのだ(30頁)」と結論付けていました。
作者はロスの通訳をしていた男性とコンタクトを取り、こんなエピソードを聞きます。
「エリザベスは、ワークショップの時に蝶のぬいぐるみを使っていたんです。それは彼女の手づくりでした。(略)青虫のお腹の中に蝶が入っているんです。(略)死を怖がることはないのよ。私たちはみんな、肉体という殻をまとっているの。でもいつか時が来たらその殻を脱ぎ捨てて別の存在になるの。そう言って、青虫のなかから蝶を取り出して見せるんです(217頁)」
その蝶のぬいぐるみは、一見蛾のように見える胴の太いものだったそうです。
ポーランドでは蝶は、蛾のように見えるものとして描くのが一般的なんだそうです。
霊感の強いロスは、実際に描かれてはいなかった蝶を見た。
強制収容所で迫り来る死におびえながら生きていた子ども達が心の中で描いていた幻の、希望の蝶を。
作者の父親も入院中、たくさんの蝶を見たといったそうです。
作者の結論としてはっきりとは書かれていませんが、
死を感じた人間は、魂の行方をそのような幻影で見るのかもしれません。
一気に読めました。共感と違和感。どちらも感じます。
ロスの著作からの引用には共感できました。
ただ、実際に介護を経験した者からすると、
作者に対して共感以上に違和感をぬぐえないのです。
介護を描いた本ではないからだと思うのです。
介護を通じたもっとスピリチュアルな死を、人生を描きたかったからだと思うのです。
でも、私にはそれが伝わってこなかった。
そして介護に関して、有名小説家である作者と、私のような市井の人とは一線を画したものを感じたからだと思うのです。
私は伯父の介護を3年間してきました。
伯父は慢性腎不全を抱え、一級障害者になりました。
透析治療をせねばならず、しかも脳出血による認知症がありました。
大学教授の医者だったせいか、プライドも高く見栄っ張りで性格もわがままでした。
転院を繰り返し、最期の病院で寝たきりになるまで、
どこの病院に入院させても、もてあまされていました。
伯父とは言っても、血縁関係はありません。私の母の姉の夫だからです。
しかも母の姉は故人で、内縁の妻もいました。それも金の切れ目が縁の切れ目。
一人息子もいましたが、18年間一度も伯父の元を訪れませんでした。
入院してからもです。伯父は孫の顔も見ずに死んでいきました。
息子(私の従兄弟)は今回遺産相続を目的に葬式では喪主を務めましたが、ただいるだけ。周囲がお膳立てしないと何もしませんでした。
告別式が終った途端、実家で嫁と嫁の親と、通帳や生命保険、ロレックスの時計などを家捜しです。
地方の小さな短大の教授をしています。ちなみに従兄弟は歯科医です。
こんな奴が生徒を教えていいのだろうか? 医療の端くれにいていいのだろうか?
この本を読み終わった数日後、伯父は亡くなりました。
正直、伯父が死んだら楽になるだろうな、早く死んでくれないかとすら思っていました。
でも、葬式で泣いたのは私だけでした。
棺桶の中の死に顔を見た途端、哀れで泣けました。晩年の孤独さを思ったからです。
伯父も、蝶を見たのでしょうか?
私は介護にスピリチュアルなものを一切感じられませんでした。
親じゃないから? 血縁関係がないから? 家が近いからという理由で面倒を見させられたから?
そうじゃない。日々を乗り越えるだけで精一杯。
そんな状態でスピリチュアルを感じられないからだと思うのです。
ちなみに従兄弟の嫁が自称・霊感が強いそうです(大笑)。
チベットの寺にあった月刊誌で知った、エリザベス・キューブラー・ロス。
エリザベス・キューブラー・ロスとは…。
スイス生まれの精神科医。アメリカ人と結婚して渡米、死の研究を始める。
もっとも有名なのは、人は死を受容するまでに、
否認・怒り・取引・抑鬱・受容の5段階を得るという『死の受容の五段階』の論文。
ロスは死の研究を通じて今日に至るホスピスケアの基礎を築いた人です。
その研究は多くの末期患者と話した末に見出されたものでした。
末期患者を探す様子にロスは「死にたかるハゲタカ」と誹謗中傷を受けるのです。
通俗的な死の概念を打ち崩すそれら研究は、60~70年代には非科学的で世間からは受け入れられませんでした。
何故かそのロスが自分を呼んでいるような気がして、作者はロスについて調べ始め、
雑誌に連載を始めます。それがこの『パピヨン』です。
タイトルの『パピヨン』はご存知の通り蝶のことです。
なぜ蝶なのかと言えば、20歳のロスが第二次世界大戦後に
国際平和義勇軍のボランティアとしてポーランドに赴いた際、
ユダヤ人大量虐殺の現場にもなったイダネック強制収容所を見学します。
そこで寝棚の壁に残されていたたくさんの蝶の絵を見つけます。
なぜ蝶の絵なのか。死を前にした人々がなぜ?
ロスを追ってポーランドのマイダネック強制収容所に行った作者は驚くのです。
そこに蝶の絵などなかったのですから。ロスはどこで蝶を見たのか?
だが、この取材から帰国した作者を待っていたのは、実父の大怪我。
その治療中に発覚した末期癌だった。
甦る実父との過去の確執。介護。
それらは不思議とロスの著作の言葉とつながり始める…。
動機
田口ランディという作家は好きではなく、殆どチェックしていなかったのですが、
新聞の書評欄で紹介され、興味を持った1冊です。
書評を読み、読んでみたいと思い、図書館で予約。
それは恐らく私が、要介護5の認知症の伯父の介護をしていたことも
関係あるのだと思います。
感想
私が作者のことを苦手とするのは、かつて起こった盗作騒動よりも、
余りにも過去を売り物にしている感が強すぎるためだと思います。
私的な内容を描きながらも、自身で結論をはっきりさせないところが、
丸投げ感を感じてしまうのです。
文体も苦手。比喩に品がないというか…。
この本は全体的に霊的、スピリチュアルな内容です。
それに私的な感情・出来事を並行させています。
不思議とリンクするロスの言葉と父の状態。より不思議感を際立たせています。
私はスピリチュアルな世界を否定するつもりは全くありません。
私自身霊感がなくそのような経験をしたことがないため、
全面的に信じることは難しいですが、理屈で割り切れない、説明できないことは
たくさんあるからです。
この作品も作者の私生活を書き記した1冊です。
暴力的な父親、耐えるばかりの母親。兄は引きこもりの末に餓死。
壮絶です。そうなのですが…。
作者の父親は転院を繰り返し、ホスピスに入ります。
末期がんを告知するのですが、父親は何とそれを忘れてしまうのです。
アルコール中毒からの離脱症状から欲した認知症はよくなっていたはずなのに(あり得るのか?)、死を認めたがらない姿を描いています。
そして父の死。
父を憎みながら描き続けてきた作者がひとつの結論を得るのです。
…蝶のことです。
40代になったロスは、より精神的なもの、非科学的なものにのめりこみ、霊媒師の影響もあって、「死は終わりではない。人間は蛹から蝶になるように、肉体を脱ぎ捨てて魂となって別の次元に入っていくのだ(30頁)」と結論付けていました。
作者はロスの通訳をしていた男性とコンタクトを取り、こんなエピソードを聞きます。
「エリザベスは、ワークショップの時に蝶のぬいぐるみを使っていたんです。それは彼女の手づくりでした。(略)青虫のお腹の中に蝶が入っているんです。(略)死を怖がることはないのよ。私たちはみんな、肉体という殻をまとっているの。でもいつか時が来たらその殻を脱ぎ捨てて別の存在になるの。そう言って、青虫のなかから蝶を取り出して見せるんです(217頁)」
その蝶のぬいぐるみは、一見蛾のように見える胴の太いものだったそうです。
ポーランドでは蝶は、蛾のように見えるものとして描くのが一般的なんだそうです。
霊感の強いロスは、実際に描かれてはいなかった蝶を見た。
強制収容所で迫り来る死におびえながら生きていた子ども達が心の中で描いていた幻の、希望の蝶を。
作者の父親も入院中、たくさんの蝶を見たといったそうです。
作者の結論としてはっきりとは書かれていませんが、
死を感じた人間は、魂の行方をそのような幻影で見るのかもしれません。
一気に読めました。共感と違和感。どちらも感じます。
ロスの著作からの引用には共感できました。
ただ、実際に介護を経験した者からすると、
作者に対して共感以上に違和感をぬぐえないのです。
介護を描いた本ではないからだと思うのです。
介護を通じたもっとスピリチュアルな死を、人生を描きたかったからだと思うのです。
でも、私にはそれが伝わってこなかった。
そして介護に関して、有名小説家である作者と、私のような市井の人とは一線を画したものを感じたからだと思うのです。
私は伯父の介護を3年間してきました。
伯父は慢性腎不全を抱え、一級障害者になりました。
透析治療をせねばならず、しかも脳出血による認知症がありました。
大学教授の医者だったせいか、プライドも高く見栄っ張りで性格もわがままでした。
転院を繰り返し、最期の病院で寝たきりになるまで、
どこの病院に入院させても、もてあまされていました。
伯父とは言っても、血縁関係はありません。私の母の姉の夫だからです。
しかも母の姉は故人で、内縁の妻もいました。それも金の切れ目が縁の切れ目。
一人息子もいましたが、18年間一度も伯父の元を訪れませんでした。
入院してからもです。伯父は孫の顔も見ずに死んでいきました。
息子(私の従兄弟)は今回遺産相続を目的に葬式では喪主を務めましたが、ただいるだけ。周囲がお膳立てしないと何もしませんでした。
告別式が終った途端、実家で嫁と嫁の親と、通帳や生命保険、ロレックスの時計などを家捜しです。
地方の小さな短大の教授をしています。ちなみに従兄弟は歯科医です。
こんな奴が生徒を教えていいのだろうか? 医療の端くれにいていいのだろうか?
この本を読み終わった数日後、伯父は亡くなりました。
正直、伯父が死んだら楽になるだろうな、早く死んでくれないかとすら思っていました。
でも、葬式で泣いたのは私だけでした。
棺桶の中の死に顔を見た途端、哀れで泣けました。晩年の孤独さを思ったからです。
伯父も、蝶を見たのでしょうか?
私は介護にスピリチュアルなものを一切感じられませんでした。
親じゃないから? 血縁関係がないから? 家が近いからという理由で面倒を見させられたから?
そうじゃない。日々を乗り越えるだけで精一杯。
そんな状態でスピリチュアルを感じられないからだと思うのです。
ちなみに従兄弟の嫁が自称・霊感が強いそうです(大笑)。
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『スイス的生活術―アルプスの国の味わい方(伊藤一 出窓社刊)』
2009年5月4日 事実を知る
内容
国費留学生として、その後は研究者(教職)として、計11年間スイスに滞在した著者。
この本は、歴史、言語、交際、教育など、生活に密着した15の章に分け、著者滞在中の経験や見聞きしたことをまとめた1冊です。
10年以上前に書かれた本ですが、スイス人の生活は恐らく余り変わっていないだろうと思われます。
動機
史上最悪、といわれる現在の状況。
きっかけというか原因は、やはりサブプライムローン。
不況 → 金融 → 銀行 → スイス
私の思考回路は少し変なのかもしれません…。
不況については、今はまだその内容の本を読もうという気にはなれず、上記の流れでスイスの金融関連の本を読みたくなりました。
本当は『黒いスイス』という新書を読んでみたかったのですが、最寄の図書館になく、そうなると予約しないといけないのですが、私の場合制限一杯まで予約しているのでできませんでした。
ネットで在庫検索してみると、最寄の図書館にあるスイス関連の本はこれだけ。他はガイドブックのみ。
レビューなども確認し、金融関連の内容ではないけれど、内容は好評のようなので借りてみることにしました。
感想
スイスのイメージといえば、中立国、アルプス、ハイジ、セントバーナード、チーズ、安全、清潔といった、いささか曖昧なイメージばかりクローズアップされていたように思います。
中立国と頭では分かっていても、どのような歴史を持ちどのように自国を守ってきたか、しっかりと理解している人は少ないと思うのです。
『アルプスの少女 ハイジ』も、子供の頃アニメで見たことがありますが、原作を読んだことがありません。
カタツムリを食べるセントバーナード(原作にはヨーゼフは居ないそうです)と戯れ、藁のベッドで眠り、白パンとチーズを頬張る、そんな生活に子供ながら憧れていました。
その裏にある自然の厳しさを、考えたこともありませんでした。
そして私の中にあるスイスの印象は、子供の頃と余り変わっていなかったことに、この本を読んで気づきました。
建国、自然といった内容も含んで発展していく展開です。
面白い内容なのですが、読んでいてイライラしてしまう箇所も。
著者は理系の方なのですが、端的な文章ではなく、ちょっとクドイ。
それとユーモアがイマイチ…。笑えるところは良いのですが、滑っている(と私が思った)ところも。
持論は、少し極端かな、と思った点もありました。
興味深かったのは、スイスの教育。
小学校卒業後の進路としては、2つある。
1つは実業中学校。早く仕事につきたいと考えた場合に進学する。
こちらを選ぶと、一生の職業が決定となる。
選んだ職種が一つの称号となり、ずっとつきまとうという。
ただし、実業学校で選んだ職種と実際の職業が「一致しないことも少なくはない」そうです。
2つは進学中学校。もう少し勉強したいと考えた場合の進路。
さらにこの中学卒業後進学する高校にも実業と進学とに分かれていて、こちらも小学校卒業時に決めておかないといけないそうです。
どの学校に進むかによって仕事や賃金が決まってしまう。
つまり、小学生で進路を決定しなければならない。そしてその決定は生涯を左右する。
途中で気が変わったらどうするんだろう?
「一致しないことも少なくはない」という職業も、具体例は壷焼きを実業学校で修業し、ピエロになった方だけ。
住宅事情も興味深かったです。
色々なお家があるでしょうが、集合住宅にお住まいの著者の友人・エステルさん宅では、玄関はなさそうですが室内でも靴を脱ぐそうです。
また、1軒1軒洗濯機をお持ちではなく、集合住宅内に洗濯室があり、交代制で使うそうです。
「典型的なスイスの都市生活者」だそうなので、一般的と思っていても良いみたいです。
考えてしまったのは失業率について。
スイスでは兵役が、日本では高等教育が、それぞれ失業率低下につながっているという著者の説です。
これは納得できる面といささかの疑問をもちますが、自分が抱いたこの疑問点をうまく表現できません。
これに関わる本などを読んでみたいと思いました。
これからスイスに行く方なら参考になる、スイスに滞在したことがある方にはとても納得できる1冊ではないかと思うのです。
実際ネットで調べたレビューでは「スイスにいく前に読むべき」と、とても高評価でした。
スイスに行ったこともなければ、スイス人に会ったこともない私からすると、ちょっとピンと来ない点もありましたが、スイスの参考文献というよりも、スイスにまつわるエッセイとして、面白い内容でした。
国費留学生として、その後は研究者(教職)として、計11年間スイスに滞在した著者。
この本は、歴史、言語、交際、教育など、生活に密着した15の章に分け、著者滞在中の経験や見聞きしたことをまとめた1冊です。
10年以上前に書かれた本ですが、スイス人の生活は恐らく余り変わっていないだろうと思われます。
動機
史上最悪、といわれる現在の状況。
きっかけというか原因は、やはりサブプライムローン。
不況 → 金融 → 銀行 → スイス
私の思考回路は少し変なのかもしれません…。
不況については、今はまだその内容の本を読もうという気にはなれず、上記の流れでスイスの金融関連の本を読みたくなりました。
本当は『黒いスイス』という新書を読んでみたかったのですが、最寄の図書館になく、そうなると予約しないといけないのですが、私の場合制限一杯まで予約しているのでできませんでした。
ネットで在庫検索してみると、最寄の図書館にあるスイス関連の本はこれだけ。他はガイドブックのみ。
レビューなども確認し、金融関連の内容ではないけれど、内容は好評のようなので借りてみることにしました。
感想
スイスのイメージといえば、中立国、アルプス、ハイジ、セントバーナード、チーズ、安全、清潔といった、いささか曖昧なイメージばかりクローズアップされていたように思います。
中立国と頭では分かっていても、どのような歴史を持ちどのように自国を守ってきたか、しっかりと理解している人は少ないと思うのです。
『アルプスの少女 ハイジ』も、子供の頃アニメで見たことがありますが、原作を読んだことがありません。
カタツムリを食べるセントバーナード(原作にはヨーゼフは居ないそうです)と戯れ、藁のベッドで眠り、白パンとチーズを頬張る、そんな生活に子供ながら憧れていました。
その裏にある自然の厳しさを、考えたこともありませんでした。
そして私の中にあるスイスの印象は、子供の頃と余り変わっていなかったことに、この本を読んで気づきました。
建国、自然といった内容も含んで発展していく展開です。
面白い内容なのですが、読んでいてイライラしてしまう箇所も。
著者は理系の方なのですが、端的な文章ではなく、ちょっとクドイ。
それとユーモアがイマイチ…。笑えるところは良いのですが、滑っている(と私が思った)ところも。
持論は、少し極端かな、と思った点もありました。
興味深かったのは、スイスの教育。
小学校卒業後の進路としては、2つある。
1つは実業中学校。早く仕事につきたいと考えた場合に進学する。
こちらを選ぶと、一生の職業が決定となる。
選んだ職種が一つの称号となり、ずっとつきまとうという。
ただし、実業学校で選んだ職種と実際の職業が「一致しないことも少なくはない」そうです。
2つは進学中学校。もう少し勉強したいと考えた場合の進路。
さらにこの中学卒業後進学する高校にも実業と進学とに分かれていて、こちらも小学校卒業時に決めておかないといけないそうです。
どの学校に進むかによって仕事や賃金が決まってしまう。
つまり、小学生で進路を決定しなければならない。そしてその決定は生涯を左右する。
途中で気が変わったらどうするんだろう?
「一致しないことも少なくはない」という職業も、具体例は壷焼きを実業学校で修業し、ピエロになった方だけ。
住宅事情も興味深かったです。
色々なお家があるでしょうが、集合住宅にお住まいの著者の友人・エステルさん宅では、玄関はなさそうですが室内でも靴を脱ぐそうです。
また、1軒1軒洗濯機をお持ちではなく、集合住宅内に洗濯室があり、交代制で使うそうです。
「典型的なスイスの都市生活者」だそうなので、一般的と思っていても良いみたいです。
考えてしまったのは失業率について。
スイスでは兵役が、日本では高等教育が、それぞれ失業率低下につながっているという著者の説です。
これは納得できる面といささかの疑問をもちますが、自分が抱いたこの疑問点をうまく表現できません。
これに関わる本などを読んでみたいと思いました。
これからスイスに行く方なら参考になる、スイスに滞在したことがある方にはとても納得できる1冊ではないかと思うのです。
実際ネットで調べたレビューでは「スイスにいく前に読むべき」と、とても高評価でした。
スイスに行ったこともなければ、スイス人に会ったこともない私からすると、ちょっとピンと来ない点もありましたが、スイスの参考文献というよりも、スイスにまつわるエッセイとして、面白い内容でした。
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『プロ野球選手の知られざる生活(斉藤直隆 アスペクト刊)』
2009年1月21日 事実を知る
内容
昨日感想を書いた『プロ野球選手という生き方』の続編です。
『~生き方』が広く浅くだとしたら、こちらはプロ野球選手について深く書かれています。
動機
こちらも『~生き方』と同じ理由で同時に図書館で借りました。
同人サイトさんがきっかけでしたが、私が観ているサイトの管理人さんたちは素人で、当然趣味で同人活動をされている方々ばかりです。
素人の趣味とは言え、細かいところまで考えて作品を書いている・描いている姿勢はとても好感を持っています。
感想
こちらは2007年に出版されています。
渡米しメジャーリーガーとしてプレイした経験のある日本人選手も増えました。
そのせいか、日米の環境の違いを比較して問題点を浮かび上がらせている書き方が目立ちました。
内容が前作と比較して深いというよりも、扱う内容を減らしたので踏み込めたといった方が適切かも。
例えば、試合の際の移動。ホームとビジターで、日米でこんなに違うんだと思いました。
現役プロ野球選手の奥様やマネージャーのインタビューは、かなり面白かったです。
プロ野球という一般からかけ離れた世界に関わる方も、社会常識をわきまえた一人の人間であるからこそ、しっかりと務まっているんだと実感できます。
一番興味深かったのは外国人監督についての記載。
日本人監督が「高校野球の延長」、つまりが「自分の部下として見下す」けれど、外国人監督は「フィールドマネージャー」として「選手へのリスペクトを持ち」「選手を褒めて乗せるのがうまく」「監督という職業を完璧に演じきる」そうです。
外国人上司と働いた経験はないけれど、日本ハムのヒルマン前監督なんかは確かにそんなイメージがあります。
他の方のインタビューでは、冒頭の吉井理人さん(インタビュー時はオリックス現役でしたが、今はOB…確か日本ハムコーチ就任?)。
前作の宮本選手同様、分かりやすいです。語り口は比較すると、はっきり話す方みたいです。本音が聞けて面白い。
「日本の場合は、チームを編成するのは“素人”ですよね、まだ。あぁ…、言っちゃった(爆笑)」
「野球経験のない人がトップにいるんで、下の人も言えないんじゃないですかね。○○ (注 伏字)なんか、モロにそうじゃないですか。あっ、言うてもうた(笑)」
「選手をいっぱい集めてるけど、編成が下手なんでチームが機能していないですよねえ」
…あ、絶対あそこのチームだ(笑)。
山﨑武司選手(楽天)は、何となく怖いイメージがあったのですが、インタビューでは穏やかそうな方みたい。
「やっぱり」が多用されていて、緊張しているのかな? なんだか親しみやすそう。
私の住む都市にもプロ野球チームがあります。
一度観に行ってみたいと思いつつ、なかなか叶わないのですが、今年こそ!とあらためて思いました。
memo
ある程度の年齢になって、部下とまでは行かなくても後輩を持った時、とても参考になるお話ではないでしょうか。
昨日感想を書いた『プロ野球選手という生き方』の続編です。
『~生き方』が広く浅くだとしたら、こちらはプロ野球選手について深く書かれています。
動機
こちらも『~生き方』と同じ理由で同時に図書館で借りました。
同人サイトさんがきっかけでしたが、私が観ているサイトの管理人さんたちは素人で、当然趣味で同人活動をされている方々ばかりです。
素人の趣味とは言え、細かいところまで考えて作品を書いている・描いている姿勢はとても好感を持っています。
感想
こちらは2007年に出版されています。
渡米しメジャーリーガーとしてプレイした経験のある日本人選手も増えました。
そのせいか、日米の環境の違いを比較して問題点を浮かび上がらせている書き方が目立ちました。
内容が前作と比較して深いというよりも、扱う内容を減らしたので踏み込めたといった方が適切かも。
例えば、試合の際の移動。ホームとビジターで、日米でこんなに違うんだと思いました。
現役プロ野球選手の奥様やマネージャーのインタビューは、かなり面白かったです。
プロ野球という一般からかけ離れた世界に関わる方も、社会常識をわきまえた一人の人間であるからこそ、しっかりと務まっているんだと実感できます。
一番興味深かったのは外国人監督についての記載。
日本人監督が「高校野球の延長」、つまりが「自分の部下として見下す」けれど、外国人監督は「フィールドマネージャー」として「選手へのリスペクトを持ち」「選手を褒めて乗せるのがうまく」「監督という職業を完璧に演じきる」そうです。
外国人上司と働いた経験はないけれど、日本ハムのヒルマン前監督なんかは確かにそんなイメージがあります。
他の方のインタビューでは、冒頭の吉井理人さん(インタビュー時はオリックス現役でしたが、今はOB…確か日本ハムコーチ就任?)。
前作の宮本選手同様、分かりやすいです。語り口は比較すると、はっきり話す方みたいです。本音が聞けて面白い。
「日本の場合は、チームを編成するのは“素人”ですよね、まだ。あぁ…、言っちゃった(爆笑)」
「野球経験のない人がトップにいるんで、下の人も言えないんじゃないですかね。○○ (注 伏字)なんか、モロにそうじゃないですか。あっ、言うてもうた(笑)」
「選手をいっぱい集めてるけど、編成が下手なんでチームが機能していないですよねえ」
…あ、絶対あそこのチームだ(笑)。
山﨑武司選手(楽天)は、何となく怖いイメージがあったのですが、インタビューでは穏やかそうな方みたい。
「やっぱり」が多用されていて、緊張しているのかな? なんだか親しみやすそう。
私の住む都市にもプロ野球チームがあります。
一度観に行ってみたいと思いつつ、なかなか叶わないのですが、今年こそ!とあらためて思いました。
memo
「(略)僕はね、先に手を出さないんですよ。それより選手に何か困ったことがあれば、必ず選手から手を出してきます。僕はその手を握ります。そうすればその選手は絶対にその手を離さないんです。(略)よくわかってないマネージャーはというのは、優し過ぎて選手を甘やかしてしまうんです。先に手を出してしまうんですね。俺が助けてあげるよと。そうすると彼らは振り払いますよ。絶対に。そうするとね、なかなか二度目は手を掴んでくれなくなるんです。
「(略)誰だってイヤじゃないですか。最初にズケズケ立入ってこられるのは。(略)」(マネージャーと選手の関係、付き合い方について、巨人の松尾英治マネージャーの返答/59頁)
ある程度の年齢になって、部下とまでは行かなくても後輩を持った時、とても参考になるお話ではないでしょうか。
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『プロ野球選手という生き方(斉藤直隆ほか アスペクト刊)』
2009年1月20日 事実を知る
内容
ドラフトや入団交渉、キャンプ、故障、シーズンオフにトレード。
副収入にマスコミとの関係や引退後の生活。
テレビ画面や新聞のスポーツ欄では分からないことが、現役選手やOBのインタビューを通して書かれてあります。
動機
大人買いして、刊行されていたコミックを全部揃えるくらいはまった某野球漫画。
コミックと連載されている本誌との差を埋めようと、感想などを書いてあるファンサイトを回ったことがきっかけで、とある同人サイトさん(いわゆるBL系です)に辿り着きました。
それまでは同人誌とかBLって、もちろん否定はしませんが、ちょっと苦手でした。
でもそこのサイトさんはほのぼのしている内容のためか、あまり抵抗なく読めました。
その漫画の主要メンバーは現在高校生なのですが、大人になった設定の創作パラレルも多く、私お気に入りの登場人物の一人はプロ野球選手になったという設定のものがあり、その際参考になったと記載されていたのがこの本。
なんだか興味深く思い、図書館で借りてみました。
感想
この本が出版されたのは、球界再編騒動(1リーグ制11球団にするとか)のあった2004年。
メジャーリーグに渡る選手も増えてきた年に、ベースボールではない日本の「野球」への熱い思いを抱くライターさん達が書いた1冊です。
プロ野球選手の生活、少々大げさに言えば一生が分かりやすまとめられています。
当然、個々の生活・人生を、これほどコンパクトな本1冊にまとめられることは無理ですが、“プロ野球選手”という職業から見てみると、流れに沿っているので分かりやすいです。
同人サイトの管理人さんが参考にするのも分かります。
とても興味深かったのは、寮生活について。千葉ロッテマリーンズの寮について書かれてあります。
素朴な疑問は、寮に入ったらトイレは個室についているの? 共同?って言うことくらい^^;
お風呂についてはかかれてあったけど、トイレについては記載なかったのです。
石鹸にはこだわりなくとも、シャンプー&リンスは各自専用というのも面白い。
要所要所に現役選手やOBのインタビューが挟まれ、これが一番面白いかな。
WBCや北京オリンピックでも主将だった、宮本慎也選手(ヤクルト)のインタビューは、現役のしがらみもあるのか?アマチュア選手からプロ野球選手のルーキーとなるまで。分かりやすくて柔らかい語り口。
高橋智さん(OB)はテンポが有って(笑)の記載が多い楽しい内容でした。
活字とは言え、実際の口調もそうなんだろうな、って思えます。
立派だな、と思ったのは清水直行選手(千葉ロッテ)。
二軍時代から一軍昇格。それを繰り返して一軍定着。その後エース級の投手になった方だそうで、その間に色々なことを見、感じ、思い、自分の中で確立して言ったのでしょうか。
マスコミやファンへの対応など、一般人では決して経験することはありません。
だからこそ、プロとして人の目を気にして毅然と対応することを語っています。
インタビュアーも仰っていますが、インタビューの内容から高いプロ意識を感じます。
こういう方々は解説者としても(解説者となっても)優秀なのではないのかな~。
プロというのは、自分という人間を観客という別の人間に見せること、魅せること。
そのために地道に努力し、チャンスを掴み、結果を残す。そしてさらに成長していく。
華やかな裏側の当然のことを上手にまとめて読ませてくれる本でした。
memo
実際失礼な対応をするマスコミ関係者はとても多いと思うんです。
そしてそういう人たちにもう一切しゃべらなくなる選手達も多いと思います。
でも、マスコミ関係者の後ろに、視聴者や読者がいる。このことを忘れないで対応することこそ、オトナであり、プロなのではないでしょうか。
ドラフトや入団交渉、キャンプ、故障、シーズンオフにトレード。
副収入にマスコミとの関係や引退後の生活。
テレビ画面や新聞のスポーツ欄では分からないことが、現役選手やOBのインタビューを通して書かれてあります。
動機
大人買いして、刊行されていたコミックを全部揃えるくらいはまった某野球漫画。
コミックと連載されている本誌との差を埋めようと、感想などを書いてあるファンサイトを回ったことがきっかけで、とある同人サイトさん(いわゆるBL系です)に辿り着きました。
それまでは同人誌とかBLって、もちろん否定はしませんが、ちょっと苦手でした。
でもそこのサイトさんはほのぼのしている内容のためか、あまり抵抗なく読めました。
その漫画の主要メンバーは現在高校生なのですが、大人になった設定の創作パラレルも多く、私お気に入りの登場人物の一人はプロ野球選手になったという設定のものがあり、その際参考になったと記載されていたのがこの本。
なんだか興味深く思い、図書館で借りてみました。
感想
この本が出版されたのは、球界再編騒動(1リーグ制11球団にするとか)のあった2004年。
メジャーリーグに渡る選手も増えてきた年に、ベースボールではない日本の「野球」への熱い思いを抱くライターさん達が書いた1冊です。
プロ野球選手の生活、少々大げさに言えば一生が分かりやすまとめられています。
当然、個々の生活・人生を、これほどコンパクトな本1冊にまとめられることは無理ですが、“プロ野球選手”という職業から見てみると、流れに沿っているので分かりやすいです。
同人サイトの管理人さんが参考にするのも分かります。
とても興味深かったのは、寮生活について。千葉ロッテマリーンズの寮について書かれてあります。
素朴な疑問は、寮に入ったらトイレは個室についているの? 共同?って言うことくらい^^;
お風呂についてはかかれてあったけど、トイレについては記載なかったのです。
石鹸にはこだわりなくとも、シャンプー&リンスは各自専用というのも面白い。
要所要所に現役選手やOBのインタビューが挟まれ、これが一番面白いかな。
WBCや北京オリンピックでも主将だった、宮本慎也選手(ヤクルト)のインタビューは、現役のしがらみもあるのか?アマチュア選手からプロ野球選手のルーキーとなるまで。分かりやすくて柔らかい語り口。
高橋智さん(OB)はテンポが有って(笑)の記載が多い楽しい内容でした。
活字とは言え、実際の口調もそうなんだろうな、って思えます。
立派だな、と思ったのは清水直行選手(千葉ロッテ)。
二軍時代から一軍昇格。それを繰り返して一軍定着。その後エース級の投手になった方だそうで、その間に色々なことを見、感じ、思い、自分の中で確立して言ったのでしょうか。
マスコミやファンへの対応など、一般人では決して経験することはありません。
だからこそ、プロとして人の目を気にして毅然と対応することを語っています。
インタビュアーも仰っていますが、インタビューの内容から高いプロ意識を感じます。
こういう方々は解説者としても(解説者となっても)優秀なのではないのかな~。
プロというのは、自分という人間を観客という別の人間に見せること、魅せること。
そのために地道に努力し、チャンスを掴み、結果を残す。そしてさらに成長していく。
華やかな裏側の当然のことを上手にまとめて読ませてくれる本でした。
memo
「仮に変な質問をされても、あいつはダメだと頭ごなしに決めるんじゃなくて、『その聞き方はまちがってるでしょ?』とコミュニケーションをとっていけばいいんですよ。僕は失礼なことを言われた人に対しても、もう一切しゃべらないとかいうのはないですね。お互い仕事ですから。テレビや新聞を通して野球が見られるから、ファンになってくれる人たちがいるわけで、球場だけでしか見られなかったら違ってきますからね。だから、こういう野球関係の本や雑誌もどんどん作ってください。僕も出来る限り協力させていただきたいと思っていますので」(失礼なマスコミ関係者への対応についての質問に清水選手の返答/113頁)
実際失礼な対応をするマスコミ関係者はとても多いと思うんです。
そしてそういう人たちにもう一切しゃべらなくなる選手達も多いと思います。
でも、マスコミ関係者の後ろに、視聴者や読者がいる。このことを忘れないで対応することこそ、オトナであり、プロなのではないでしょうか。
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『氷上の光と影 知られざるフィギュアスケート(田村明子 新潮社刊)』
2009年1月11日 事実を知る
内容
フィギュアスケートが抱える問題点や現状を、コーチや引退した選手など、現役選手ではないものの、スケートを愛し状況を知り疑問点を抱いている方々からの言葉を盛り込んでまとめた本です。
この著者の方、フィギュアスケート中心に取材を続けているフリーライターの方のようですが、風水によるお掃除の重要性を書いた「ガラクタ捨てれば…」の訳者の方だそうです。
動機
浅田真央ちゃんの登場以来、空前の?フィギュアスケートブーム。
テレビを見ていてふと、「振付師」に興味を持ち、どういう人がなるのだろう?とネットで検索。
この本に少し書かれているらしいと知り、図書館で借りました。
感想
休みの日、1日で読み終わってしまいました。
フィギュアスケートを観るのが好きだけど余り詳しくない、私のような人間にはとても面白い本でした。
知っているけれど詳細は良く知らない、そういった出来事(例えば2002年ソルトレイクシティ五輪でのフィギュア・ペアでの判定問題など)や、リアルタイムで観ていたけど部外者には分かりようもない舞台裏(2006年トリノ五輪での女子フィギュア選手たちの様子など)が分かります。
他にも、1994年のナンシー・ケリガン選手襲撃事件や、当事者たちのその後。
コーチや振付師についても書かれてあります。
読むきっかけは振付師についてだったのですが、一番印象的だったのは、コーチについてのページ。
ロシアのタチアナ・タラソワコーチについての記載に、「一流」とはどういうことか、分かったように思いました。
現役選手の言葉は少なく荒川静香選手くらいですが、現役選手の言葉は新聞や雑誌、テレビのインタビューなどがありますので、逆に興味深かったです。
ただ、それだけに荒川静香選手びいきなのかな? と思わせる力の入れようが気になりました。
私が余り荒川選手が好きじゃないことが大きいのかも知れません。
あと、もう一つ気になったことは、優勝者のことを「チャンピオン」ではなく、「チャンピォン」とオを小さく記載すること。
英語の発音に忠実にするとこの表記なのでしょうけれど、週刊漫画誌のタイトルにもなっているくらい日本語として浸透している言葉のためか、違和感が消えませんでした(細かい事なんですけれど、よく出てくる単語のため、目に付いてしまって…(ーー;))。
memo
フィギュアスケートが抱える問題点や現状を、コーチや引退した選手など、現役選手ではないものの、スケートを愛し状況を知り疑問点を抱いている方々からの言葉を盛り込んでまとめた本です。
この著者の方、フィギュアスケート中心に取材を続けているフリーライターの方のようですが、風水によるお掃除の重要性を書いた「ガラクタ捨てれば…」の訳者の方だそうです。
動機
浅田真央ちゃんの登場以来、空前の?フィギュアスケートブーム。
テレビを見ていてふと、「振付師」に興味を持ち、どういう人がなるのだろう?とネットで検索。
この本に少し書かれているらしいと知り、図書館で借りました。
感想
休みの日、1日で読み終わってしまいました。
フィギュアスケートを観るのが好きだけど余り詳しくない、私のような人間にはとても面白い本でした。
知っているけれど詳細は良く知らない、そういった出来事(例えば2002年ソルトレイクシティ五輪でのフィギュア・ペアでの判定問題など)や、リアルタイムで観ていたけど部外者には分かりようもない舞台裏(2006年トリノ五輪での女子フィギュア選手たちの様子など)が分かります。
他にも、1994年のナンシー・ケリガン選手襲撃事件や、当事者たちのその後。
コーチや振付師についても書かれてあります。
読むきっかけは振付師についてだったのですが、一番印象的だったのは、コーチについてのページ。
ロシアのタチアナ・タラソワコーチについての記載に、「一流」とはどういうことか、分かったように思いました。
現役選手の言葉は少なく荒川静香選手くらいですが、現役選手の言葉は新聞や雑誌、テレビのインタビューなどがありますので、逆に興味深かったです。
ただ、それだけに荒川静香選手びいきなのかな? と思わせる力の入れようが気になりました。
私が余り荒川選手が好きじゃないことが大きいのかも知れません。
あと、もう一つ気になったことは、優勝者のことを「チャンピオン」ではなく、「チャンピォン」とオを小さく記載すること。
英語の発音に忠実にするとこの表記なのでしょうけれど、週刊漫画誌のタイトルにもなっているくらい日本語として浸透している言葉のためか、違和感が消えませんでした(細かい事なんですけれど、よく出てくる単語のため、目に付いてしまって…(ーー;))。
memo
一流の人、という言葉がこれほど相応しい人を、タラソワのほかに私は知らない。それは彼女も、親や夫もエリートだからではない。彼女が才能をどうすれば形にすることができるか、成功はどういう道を通れば待っているのか、知り尽くしているように見えるからだ。(141頁)
「タチアナは、与えてくれる人でした。その前のコーチは、ぼくたちから何かを取っていくことばかりを考えていた。でもタチアナは何でも惜しげなく与えてくれました。(アイスダンス選手・リナート・ファルクディノフがタラソワコーチを称して/145頁)
「技術的な知識、大きな目で状況を分析できる能力、そして人間性を見抜く力があること。」
優秀なコリオグラファーになるために必要な要素は何か、と聞くと、サンドラ・ベジック(史上初のスター振付師)はこの3つを上げた。人間性を見抜く力があってこそ、選手の長所を引き立てる振付が可能なのである。(153頁)
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『僕はパパを殺すことに決めた(草薙厚子 講談社刊)』
2008年12月18日 事実を知る
内容
サブタイトルが「奈良エリート少年自宅放火事件の真実」。
これで分かるように、2006年6月に起こった、奈良在住の名門進学校に通う男子高校生が、継母と2人の異母弟妹を焼死させてしまった事件について、本人や父、実母などの供述調書を基に書かれた本です。
動機
事件自体が衝撃的だったことはもちろんですが、少年が医師の息子で進学校に通っていたこと、そして父親から受けていた暴力、複雑な家庭環境と大きな話題になったこの事件。
その後供述調書が流出したことから物議をかもしました。
新聞や週刊誌、テレビの報道がどれほどの真実を伝えているのか。
こういう事件が起こり、報道されるたびに考えていました。
当初はそれほど読みたいとは思わなかったのですが、供述調書を利用して書かれたならば真実が、少年やその家族(加害者側でもあり被害者側でもある)の本当の気持ちが書かれているだろうと思い、図書館で予約しました。
図書館で貸し出し(閲覧?)禁止になったりしましたが、1年以上待って、ようやく借りることが出来ました。
感想
正直な感想は、“小学生の夏休みの自由研究みたいだ”でした。
内容を考えるととても失礼なのですが、手に入れた供述調書を書き写し、その合間に著者の少々偏った“取材の結果”や“意見”が付け加わる。
取材に応じた関係者が、亡くなった継母の両親だけなようで、偏るもの仕方ないかもしれませんが、少年の父を一方的に非難し、継母をかばう内容です。
これがこの事件の真実なのだろうか?
少年を取り巻く世界は、こんなに狭いものではなかったはず。
十分な取材が出来ないまま、このような本にする必要があったのだろうか?
手に入れた供述調書を使って本にしたい。
そんな安直で功名心に逸った考えから生まれた1冊じゃないのかな、とすら思いました。
確かに、少年が父親から受けていた暴力は異常です。
旅行に行っても宿泊先で、医師である父親が当直の時は病院で、勉強を教わっていた。
少年の成績に不満を持ち、教師に自宅まで来させて説明させる。
期待の現れだとしても、理解できないものがあります。
異母弟に障害があったらしく、父親は、次男が医師になるのは難しいと判断し、その兄である少年への期待の大きさからこのようなことをしたのだろうか。
少年の意志はどこにあったのだろう?
医師になるという職業選択も、そのために通う大学も、父親が強制して指定している。
最後のほうでは、少年が「広汎性発達障害」と診断されたと書かれてあります。
事件を起こしたのも、放火という方法を選択したのも、遡って両親別居の際に実母に付いていかなかったのも、すべてこの障害が関係するそうです。
説得力はあるのですが、この著者の本を何冊か読んだ方によると、著者は少年犯罪の全てをこの結論にしてしまうとか。
私はこの著者の本を初めて読みましたし、鑑定書も裁判所の決定も客観的なはずと思いますので、否定するつもりはありません。
ただ、前述のようなこの本の内容・展開、そこからもたらされる不信感から、全面的に信じにくいものはあります。
少年は加害者です。でも、どこかで同情も感じています。
高校生になっても、父親をパパと呼ぶ、そんな幼さ。
供述調書から垣間見える未成熟な印象。
こうなる前に、大人たちが何とかできなかったのか…。
やるせなさが残りました。
ところで、読み終わって抱いた疑問。
これは何だろう? ルポルタージュ? ノンフィクション? それとも供述調書の抜書き?
サブタイトルが「奈良エリート少年自宅放火事件の真実」。
これで分かるように、2006年6月に起こった、奈良在住の名門進学校に通う男子高校生が、継母と2人の異母弟妹を焼死させてしまった事件について、本人や父、実母などの供述調書を基に書かれた本です。
動機
事件自体が衝撃的だったことはもちろんですが、少年が医師の息子で進学校に通っていたこと、そして父親から受けていた暴力、複雑な家庭環境と大きな話題になったこの事件。
その後供述調書が流出したことから物議をかもしました。
新聞や週刊誌、テレビの報道がどれほどの真実を伝えているのか。
こういう事件が起こり、報道されるたびに考えていました。
当初はそれほど読みたいとは思わなかったのですが、供述調書を利用して書かれたならば真実が、少年やその家族(加害者側でもあり被害者側でもある)の本当の気持ちが書かれているだろうと思い、図書館で予約しました。
図書館で貸し出し(閲覧?)禁止になったりしましたが、1年以上待って、ようやく借りることが出来ました。
感想
正直な感想は、“小学生の夏休みの自由研究みたいだ”でした。
内容を考えるととても失礼なのですが、手に入れた供述調書を書き写し、その合間に著者の少々偏った“取材の結果”や“意見”が付け加わる。
取材に応じた関係者が、亡くなった継母の両親だけなようで、偏るもの仕方ないかもしれませんが、少年の父を一方的に非難し、継母をかばう内容です。
これがこの事件の真実なのだろうか?
少年を取り巻く世界は、こんなに狭いものではなかったはず。
十分な取材が出来ないまま、このような本にする必要があったのだろうか?
手に入れた供述調書を使って本にしたい。
そんな安直で功名心に逸った考えから生まれた1冊じゃないのかな、とすら思いました。
確かに、少年が父親から受けていた暴力は異常です。
旅行に行っても宿泊先で、医師である父親が当直の時は病院で、勉強を教わっていた。
少年の成績に不満を持ち、教師に自宅まで来させて説明させる。
期待の現れだとしても、理解できないものがあります。
異母弟に障害があったらしく、父親は、次男が医師になるのは難しいと判断し、その兄である少年への期待の大きさからこのようなことをしたのだろうか。
少年の意志はどこにあったのだろう?
医師になるという職業選択も、そのために通う大学も、父親が強制して指定している。
最後のほうでは、少年が「広汎性発達障害」と診断されたと書かれてあります。
事件を起こしたのも、放火という方法を選択したのも、遡って両親別居の際に実母に付いていかなかったのも、すべてこの障害が関係するそうです。
説得力はあるのですが、この著者の本を何冊か読んだ方によると、著者は少年犯罪の全てをこの結論にしてしまうとか。
私はこの著者の本を初めて読みましたし、鑑定書も裁判所の決定も客観的なはずと思いますので、否定するつもりはありません。
ただ、前述のようなこの本の内容・展開、そこからもたらされる不信感から、全面的に信じにくいものはあります。
少年は加害者です。でも、どこかで同情も感じています。
高校生になっても、父親をパパと呼ぶ、そんな幼さ。
供述調書から垣間見える未成熟な印象。
こうなる前に、大人たちが何とかできなかったのか…。
やるせなさが残りました。
ところで、読み終わって抱いた疑問。
これは何だろう? ルポルタージュ? ノンフィクション? それとも供述調書の抜書き?
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