『脱ニッポン人生 自分の居場所の見つけ方(大倉直著 草思社刊)』
2009年8月23日 事実を知る
内容
作者が海外を旅していた20代で知り合った人たちは、
作者が40代となった今はどうしているのか。
そして今、40代で旅に出たらまた新たな出会いがあるのではないか。
タイ、アメリカ、メキシコ、ネパール、トルコ…。
日本にはない何かを求めて海外へと渡った人たちの“来歴”と“今”を探る。
動機
新聞の書評欄で紹介されていた1冊です。
自分の今後に悩んでいたこともあり、大変興味を持ち、図書館で予約しました。
予約冊数はそれほど多くなかったのですが、
この不況のためか?購入数に限りがあるのか在庫数がかなり少なく、
半年ほど待って読めました。
感想
海外で作者が会った日本人たち。
夢を見て日本を出て、夢の途中で作者と出会い、その後を追ったものです。
プロレスラーを夢見て高校を中退し、単身メキシコへ渡った17歳の少女・咲子。
その後19歳で結婚、20歳で母になり離婚。
日本に帰国して紆余曲折を経て26歳でついにプロレスラーに。
「三十歳。私さあ、こんな三十歳になれるなんて、全然想像してなかったよ。こんなしあわせになれるなんて(34頁)」
建築家とアーティストという両方を夢見て、自由に創作活動したいと
物価の安いメキシコへ渡った康志。
廃材や石を使ったオブジェを作り続け、35歳で現地の女性と結婚、
地元に馴染んでいるためか、近くの村で建築の教会の設計を任されている。
「教会っていうのはやってみたい仕事でしたからね。タダでもいい仕事をすれば、今後につながっていくかもしれないでしょ。それに教会っていうのは自分が死んでも、百年、二百年とそこで祈りがくりかえされるっていうかね(52頁)」
大学時代に知り合って中国系タイ人留学生と駆け落ち、
彼の国で生活を始めるが10年後離婚、50代で大学講師の職を得て自立、
駆け落ちと同時に疎遠になった認知症の母親をタイへ引き取り看取った周子。
「タイにきてしまったことを何度も悔やみはしたけど、すべてはこうやって母をいとおしく思えるための神の計画だったんだって、いまは思うんです。なんて長い計画だったのだろうって(73頁)」
青山圭秀の著作に師として登場するカトリック・イエズス会神父は、
進学校の授業で愛と奉仕について説いていた。
そして海を越えてネパールで実践し、80歳になった。
「よくいわれるんですよ、『これからのご計画を教えてください』って。そんなのないですよ。いつだって私が計画して進めてきたわけじゃないんですから(138頁)」
僕が50歳になったら仕事を辞める、そしたら君が養ってくれ。それまで君は好きなことをすればいい、と妻に言い、それを本当に実行に移した夫婦・浩平とセツ。
妻は日本で住宅リフォームコンサルタントとして成功し、
夫はトルコでマラソン大会に備えてジョギングを欠かさない。
「私はいつもこう思うんです。『禍福はあざなえる縄のごとし』ってね。人生ってそういうものなんでしょうね(158頁)」
絵描きを目指して挫折、台湾で父の事業を手伝ったあとメキシコへ。
23歳で17歳の現地女性と結婚し、ホテル経営を夢見るも、
借金して新築したペンションの宿泊客の女子大生を追い、ふられ、
妻にホテルを慰謝料として渡して離婚、
今はシルバーアクセサリー工房のデザイナーに転身した孝志。
「若い頃は成功したい、金をもうけたいという思いが強かったが、最近は「ただもうかればいい」とは考えなくなった。自分が好きなこと、興味のあることと関わる仕事をしたいという。そうでなければリスクを抱えながら事業をする意味もあまりないように孝志は思うようになった。(207頁)」
これが全員ではありませんが、印象に残った人々を書き記しました。
大きな夢、ギラギラした欲望は、いつしかシンプルで自然体な自分へと還って行くのかもしれませんね。
地に脚着けてたくましく自分らしく生きる清清しい人たちが多いためか、ぐいぐいと読ませてくれます。
ですが読後は爽やかというよりも、どこか切なさを感じました。
きっと自分なりの幸せを掴んだ人ばかりが描かれている訳ではないからだと思います。
ヤク中になってしまった康志の友人・広司。
妻に逃げられ、貯金もなく社会的保証もないままマンガ本屋を営む修。
展望の見えない現代は、日本でも変わらないからだと思います。
ちょっと切なく、かなり面白い。
作者の人懐っこく、相手に警戒心を感じさせずにすぐに人と仲良くなれる性格が、羨ましく感じられた1冊です。
作者が海外を旅していた20代で知り合った人たちは、
作者が40代となった今はどうしているのか。
そして今、40代で旅に出たらまた新たな出会いがあるのではないか。
タイ、アメリカ、メキシコ、ネパール、トルコ…。
日本にはない何かを求めて海外へと渡った人たちの“来歴”と“今”を探る。
動機
新聞の書評欄で紹介されていた1冊です。
自分の今後に悩んでいたこともあり、大変興味を持ち、図書館で予約しました。
予約冊数はそれほど多くなかったのですが、
この不況のためか?購入数に限りがあるのか在庫数がかなり少なく、
半年ほど待って読めました。
感想
海外で作者が会った日本人たち。
夢を見て日本を出て、夢の途中で作者と出会い、その後を追ったものです。
プロレスラーを夢見て高校を中退し、単身メキシコへ渡った17歳の少女・咲子。
その後19歳で結婚、20歳で母になり離婚。
日本に帰国して紆余曲折を経て26歳でついにプロレスラーに。
「三十歳。私さあ、こんな三十歳になれるなんて、全然想像してなかったよ。こんなしあわせになれるなんて(34頁)」
建築家とアーティストという両方を夢見て、自由に創作活動したいと
物価の安いメキシコへ渡った康志。
廃材や石を使ったオブジェを作り続け、35歳で現地の女性と結婚、
地元に馴染んでいるためか、近くの村で建築の教会の設計を任されている。
「教会っていうのはやってみたい仕事でしたからね。タダでもいい仕事をすれば、今後につながっていくかもしれないでしょ。それに教会っていうのは自分が死んでも、百年、二百年とそこで祈りがくりかえされるっていうかね(52頁)」
大学時代に知り合って中国系タイ人留学生と駆け落ち、
彼の国で生活を始めるが10年後離婚、50代で大学講師の職を得て自立、
駆け落ちと同時に疎遠になった認知症の母親をタイへ引き取り看取った周子。
「タイにきてしまったことを何度も悔やみはしたけど、すべてはこうやって母をいとおしく思えるための神の計画だったんだって、いまは思うんです。なんて長い計画だったのだろうって(73頁)」
青山圭秀の著作に師として登場するカトリック・イエズス会神父は、
進学校の授業で愛と奉仕について説いていた。
そして海を越えてネパールで実践し、80歳になった。
「よくいわれるんですよ、『これからのご計画を教えてください』って。そんなのないですよ。いつだって私が計画して進めてきたわけじゃないんですから(138頁)」
僕が50歳になったら仕事を辞める、そしたら君が養ってくれ。それまで君は好きなことをすればいい、と妻に言い、それを本当に実行に移した夫婦・浩平とセツ。
妻は日本で住宅リフォームコンサルタントとして成功し、
夫はトルコでマラソン大会に備えてジョギングを欠かさない。
「私はいつもこう思うんです。『禍福はあざなえる縄のごとし』ってね。人生ってそういうものなんでしょうね(158頁)」
絵描きを目指して挫折、台湾で父の事業を手伝ったあとメキシコへ。
23歳で17歳の現地女性と結婚し、ホテル経営を夢見るも、
借金して新築したペンションの宿泊客の女子大生を追い、ふられ、
妻にホテルを慰謝料として渡して離婚、
今はシルバーアクセサリー工房のデザイナーに転身した孝志。
「若い頃は成功したい、金をもうけたいという思いが強かったが、最近は「ただもうかればいい」とは考えなくなった。自分が好きなこと、興味のあることと関わる仕事をしたいという。そうでなければリスクを抱えながら事業をする意味もあまりないように孝志は思うようになった。(207頁)」
これが全員ではありませんが、印象に残った人々を書き記しました。
大きな夢、ギラギラした欲望は、いつしかシンプルで自然体な自分へと還って行くのかもしれませんね。
地に脚着けてたくましく自分らしく生きる清清しい人たちが多いためか、ぐいぐいと読ませてくれます。
ですが読後は爽やかというよりも、どこか切なさを感じました。
きっと自分なりの幸せを掴んだ人ばかりが描かれている訳ではないからだと思います。
ヤク中になってしまった康志の友人・広司。
妻に逃げられ、貯金もなく社会的保証もないままマンガ本屋を営む修。
展望の見えない現代は、日本でも変わらないからだと思います。
ちょっと切なく、かなり面白い。
作者の人懐っこく、相手に警戒心を感じさせずにすぐに人と仲良くなれる性格が、羨ましく感じられた1冊です。
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