内容
「・・・・・・私と言う一冊の本を、私が破棄してはいけない?
いけない。そんなことをしてはいけない。私は、物語をまもるものだから。今も、そして死の最後の瞬間にも。」

だが、美しく有能な編集者だった25歳の女性は、2003年自ら死を選んだ。

圧倒される読書量。
溢れ出す言葉。
哲学を専攻していたひとらしい論理と思考。

2001年6月半ばから亡くなる当日までの約2年に渡るブログの書籍化。

動機
ネットサーフィンの結果、辿り着いたブログ「八本足の蝶」。
新しいものから順に表示されますが、いきなり目に入ってきたのがこの文章。

「最後のお知らせ

二階堂奥歯は、2003年4月26日、まだ朝が来る前に、自分の意志に基づき飛び降り自殺しました。
このお知らせも私二階堂奥歯が書いています。これまでご覧くださってありがとうございました。」


予想もしなかったこの内容に、過去を遡って読み始めました。

その後このブログが、生前関わりのあった方が二階堂奥歯さんを偲んだ文章と、
二階堂さんが寄稿されていたブックレビューを追加して、
書籍化されていたことを知りました。

ブログは削除されることなく現存しているため全文を読めますが、
珍しく購入を検討するも、すでに絶版。
図書館にあったため、予約して借りました。

感想
読み始めて思ったのは「理論武装と矛盾の人」でした。

ブログでは日付の新しい内容が先頭に来ますが、
書籍は日付の古いものから順に読んでいくことになります。
最初は伸びやかな文章が続きます。
洋服、コスメ、読んだ本、見た映画、足を運んだ展示会の感想。

その後、貞操帯、マゾヒズム、セクサロイド(両性具有)、
キリスト教(だが信者ではないと言う)、少女の人形、ぬいぐるみ、タロットなどが、
二階堂奥歯的視点と論理と共に話題に出てきます。

同時に、生活臭のなさ、選民意識や自己顕示欲、危うさ、エキセントリックさなども感じました。

代々事業を営み、日本庭園に薔薇園まで持つような裕福な家庭に生まれ、
一流大学を卒業し、憧れの会社に入社し編集者となった。
最大の理解者でもある“雪雪さん”、恋人の“哲くん”、そして家族に支えられ、
タロットカードに例える訳ではありませんが、全てのカードを持つ人だったはずでした。

「人並優れた容姿を備えた女性(441頁/西崎憲さんの文章より)」であり、
「言葉で説明できない色っぽさ(454頁/中野翠さんの文章より)」を持つ人だったそうです。
男性から性的な目で見られ、行動に移されるほどに。

自らを着せ替え人形と呼ぶのは、美への貪欲さ、洋服が好きだったこと、
本人がそれの似合うファッショナブルな人だったと言うこともあるのでしょうが、
自分の持つ女性性を持て余していたこととも関わってくるのだと思います。
その女性性に苦しまない悩まない、と言うよりも
思考のない無条件に愛玩される人形に例えたのではないかと。

読みながら、なぜ? なぜ自死を? と考えてしまいました。
下世話なことです。
この書籍は、彼女の死の理由を追及するのではなく、
彼女の思考と論理を読み解いていくためのものだと思うからです。
でも、動機欄でも書いたように、余りにも最初のインパクトが強すぎて、
その考えを消せずに居ました。

読むにつれ、何となく感じるのです。想像できるのです。
ですがそれが真実かは分かりません。

最後になるにつれ、ブログの内容は本の引用ばかりになって行きます。
頭脳明晰な人が、豊かな語彙を持つ人が、自分の思考を綴ることが出来なくなるくらい、
“こころ”が置いてきぼりになっていったのでしょう。

自らを一冊の本に例えた人。このように実際に本になった。
私はこの本を読み深め、惹かれるその理由を知りたいと思う。
それが「物語をまもる」と言う意味ではないかと思うのです。

サイト名の「八本足の蝶」とは、
「東大寺大仏殿にある花挿しについている青銅の揚羽蝶(2002年8月21日/195頁)」のことだそうです。
これにまつわるエピソードとして、津原泰水さんが437頁に回想文を記しています。
このときを境に「サイト名が変わった」そうですが、
それ以前は何というサイト名だったのかは記載がありません。

サイト名、そしてハンドルネーム兼ペンネーム「二階堂奥歯」。
この感性。真似出来ないオリジナリティ。

ブログをいきなり読むもの良いのですが、
“記憶―あの日、彼女と”と題された関係者の回想文を読んでから、
ブログの内容に踏み込むのも良いと思います。

ああ、このブログの内容は、この人との思い出のことだったんだ、
ブログには書かれていないけれどこんなことがあったのだ、と、
思いながら読むことができます。

この本を足りるに当たり、図書館で在庫を調べたところ、2冊あることが分かりました。
1冊は貸し出されていましたが、1冊は在庫あり。
別の図書館からすぐに運ばれて読めるはずでしたが、10日ほど待ちました。

どうやら在庫ありのはずの1冊は、正規の手続きを経ないまま持ち出された、
つまりは盗まれてしまったようでした。

絶版になり、中古で購入しようにも、アマゾンのマーケットプライスでは6,000円近い金額。
金額は一つの目安にしかなりませんが、
探し回るよりも在るところから盗んでしまおうと考えた人間が居たのでしょう。
「物語をまもる者」だったこの人の本を、盗人が読んでいる。何という腹立たしさ!

memo
「事情はまったくわからないのだけど、辛いからなどではなくて、「気が済んだ」から死んだのだといいなと思う。
死ぬ瞬間幸福に飛べたのならよいのだけれど。
ご冥福を祈りします。(2001年6月19日/7頁)」
(編集者・ライターの青山正明氏が17日に縊死していたことを知った日に記した文)

縊死なのに、「幸福に飛べた」と言う点に、本人は飛び降り自殺だったことと重ねてしまいました。
二階堂奥歯、あなたは「幸福に飛べた」のですか?

「だって、崩壊の原因は自分自身なのだから。自分自身によって内側から侵食されつつある存在価値。ねえ腐っていく音聞こえないですか? 私の中から腐っていく音聞こえないですか?
崩れる寸前までは完璧でいるから。崖から落ちるまでは見事に踊って見せるからね。(2002年9月9日その2/201頁)」
(岡崎京子「ヘルタースケルター」の引用後、記された文)

この本は私も持っています。崩れる寸前まで完璧でいること、それが美意識だったのでしょうか。

「私は奥歯は自殺するかもしれないと思っていました。そして、私には止められないだろうと、思っていたんですよ(2003年4月1日その12-3/354頁)」
(雪雪さんからの1996年の手紙の引用。二階堂奥歯の父が、雪雪さんに語った言葉)

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