『自註鹿鳴集(会津八一著/岩波文庫刊)』
2010年2月7日 こころ豊かに
内容
会津八一(あいづ やいち)。新潟県出身。
歌人、書家、早稲田大学教授(後に名誉教授)。
古都奈良を愛し、多くの短歌や評論を残した。
妥協を許さず、孤高の人柄でも知られる。
昭和15年、還暦を迎えて刊行したのが『鹿鳴集』。
妥協を許さずに選びに選んだ歌集です。
会津八一の短歌自体は優しく平易なものもあるのですが、
全てをひらがなで書いたため、
そして文語体にしてしまったため、わかりにくい点も多く、
それを解決しようと『鹿鳴集』に自ら注釈をつけたのが
この『自註鹿鳴集』です。
動機
私はこの会津八一の短歌が大好きです。
社会人1年目、ある本を読み(タイトル失念)知った会津八一。
その本は数人の男性歌人の作品と人生を比較して完結にまとめたものでした。
そのうちのひとりがこの会津八一。他にも北原白秋などが紹介されていました。
当時人間関係に苦しみ、入社3ヶ月で体重が7キロも減っていました。
偶然会った知人に、驚かれたくらいのやつれっぷり。
目が大きいので「目だけが爛々としている」と
訳の判らない事を言われました(苦笑)。
同期とは余り気が合わず、社内に信頼できる人もおらず、
社会人生活は、生活の殆どを過ごす会社は、とても辛いものでした。
そんな時に出会った、会津八一の短歌。夢殿の救世観音を詠った1首です。
「あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
この さびしさ を きみ は ほほゑむ」
(天地にわれ1人ゐて立つごとき この寂しさを君はほほゑむ)
涙が出ました。
寂しさも、悲しみも辛さも、微笑んで乗り越えられるような人になれれば。
今は無理でも、数年後には微笑んで思い出せれば。
残念ながらその会社は3年で退職しました。
何年経っても、人間関係で苦労しています。
今も、色々と辛い状況にいます。
だからこそ読みたくて、図書館で借りました。
残念ながら絶版になっていたからです。
感想
奈良を旅行する時、これをガイドブックにしたい。
そんな内容のレビューが、amazonに載っていました。
奈良の古寺、古仏を愛した会津八一の視点は優しく、穏やかなものを感じます。
この本を片手に、奈良を旅したくなる気持ち、よくわかります。
ひらがなだからこそ読みづらく、文語体だからこそ難しい。
それをわざわざ選んだのは、古都の持つ雰囲気を表現したかったからだと言う気がします。
妥協を許さなかった厳しい人だと知った今も、この優しい短歌を読むと、
きっと自分には厳しかったかもしれないけれど、
周囲には情の深い人だったのではないかとも思います。
同時に、そういう人にありがちな、孤独も感じます。
そこに惹かれ、癒されるのかな。
優しさと表裏一体の寂しさ。
辛い時に今でも心の中で上記の短歌を繰り返します。
辛い時、孤独な時、穏やかな言葉が欲しい時。
泣きたい時、泣けない時、苦しくて呼吸すらできないような時。
そんな時に効く、常備薬のような、私の大切な1冊です。
そういえば、当時電話をくれた学生時代の友人に、
会津八一の短歌にはまっていると言ったら、心配されたことがありました。
「どこに行っても良いけど、ちゃんと戻って来てよ」って。
え、別世界? 短歌を読むのが好きって、普通じゃないのね^^;
その友人とも縁が切れてしまいましたが…。
ちなみに影響を受け、ひらがなに魅せられました。
例として、いくつか使い分けているハンドルネーム、ひらがなを使っています。
会津八一(あいづ やいち)。新潟県出身。
歌人、書家、早稲田大学教授(後に名誉教授)。
古都奈良を愛し、多くの短歌や評論を残した。
妥協を許さず、孤高の人柄でも知られる。
昭和15年、還暦を迎えて刊行したのが『鹿鳴集』。
妥協を許さずに選びに選んだ歌集です。
会津八一の短歌自体は優しく平易なものもあるのですが、
全てをひらがなで書いたため、
そして文語体にしてしまったため、わかりにくい点も多く、
それを解決しようと『鹿鳴集』に自ら注釈をつけたのが
この『自註鹿鳴集』です。
動機
私はこの会津八一の短歌が大好きです。
社会人1年目、ある本を読み(タイトル失念)知った会津八一。
その本は数人の男性歌人の作品と人生を比較して完結にまとめたものでした。
そのうちのひとりがこの会津八一。他にも北原白秋などが紹介されていました。
当時人間関係に苦しみ、入社3ヶ月で体重が7キロも減っていました。
偶然会った知人に、驚かれたくらいのやつれっぷり。
目が大きいので「目だけが爛々としている」と
訳の判らない事を言われました(苦笑)。
同期とは余り気が合わず、社内に信頼できる人もおらず、
社会人生活は、生活の殆どを過ごす会社は、とても辛いものでした。
そんな時に出会った、会津八一の短歌。夢殿の救世観音を詠った1首です。
「あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
この さびしさ を きみ は ほほゑむ」
(天地にわれ1人ゐて立つごとき この寂しさを君はほほゑむ)
涙が出ました。
寂しさも、悲しみも辛さも、微笑んで乗り越えられるような人になれれば。
今は無理でも、数年後には微笑んで思い出せれば。
残念ながらその会社は3年で退職しました。
何年経っても、人間関係で苦労しています。
今も、色々と辛い状況にいます。
だからこそ読みたくて、図書館で借りました。
残念ながら絶版になっていたからです。
感想
奈良を旅行する時、これをガイドブックにしたい。
そんな内容のレビューが、amazonに載っていました。
奈良の古寺、古仏を愛した会津八一の視点は優しく、穏やかなものを感じます。
この本を片手に、奈良を旅したくなる気持ち、よくわかります。
ひらがなだからこそ読みづらく、文語体だからこそ難しい。
それをわざわざ選んだのは、古都の持つ雰囲気を表現したかったからだと言う気がします。
妥協を許さなかった厳しい人だと知った今も、この優しい短歌を読むと、
きっと自分には厳しかったかもしれないけれど、
周囲には情の深い人だったのではないかとも思います。
同時に、そういう人にありがちな、孤独も感じます。
そこに惹かれ、癒されるのかな。
優しさと表裏一体の寂しさ。
辛い時に今でも心の中で上記の短歌を繰り返します。
辛い時、孤独な時、穏やかな言葉が欲しい時。
泣きたい時、泣けない時、苦しくて呼吸すらできないような時。
そんな時に効く、常備薬のような、私の大切な1冊です。
そういえば、当時電話をくれた学生時代の友人に、
会津八一の短歌にはまっていると言ったら、心配されたことがありました。
「どこに行っても良いけど、ちゃんと戻って来てよ」って。
え、別世界? 短歌を読むのが好きって、普通じゃないのね^^;
その友人とも縁が切れてしまいましたが…。
ちなみに影響を受け、ひらがなに魅せられました。
例として、いくつか使い分けているハンドルネーム、ひらがなを使っています。
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